Q 「社会的につくられた色弱」という表現があります。
A 「社会的につくられた」と言えば、日常感覚的には、「実はそんなものは存在しないのだ」と言っているように響きますね。色覚特性のちがいなど大したことないのであって、「色覚異常とは言われなきレッテルである」といったように。
1990年代になされた色覚差別批判には、そういう論理が見られます。私は、その論理による色覚検査批判には非常に大きな歴史的意義があった、と考えています。
実際、多くの場合、大した問題ではないのに、すべてのこどもたちに対して色覚検査が施され、あたかも大した問題であるかのような印象が世間に広まってしまっていたのです。それを止めるためには、色覚検査が理不尽なレッテルを貼っている、と批判しなければなりませんでした。これは正当なことです。
けれども、それをふまえたうえで、今日に残された課題として言えば、「それでは色覚の多様性に関する社会的関心がそがれてしまうきらいがある」とも思います。「実は大した問題だったのに」と言いたいのではありません。「ますます過度に色覚に依存した技術がその後にどんどん広まったから」、です。
1990年代前半にはまだ、各自が色とりどりのホームページを作るとか、人々がスマホのカラフルな画面で毎日に必要な情報を得る、といったことは、生じていませんでした。
ここに言う「社会的につくられた」は、イコール「名札の産物」ではありません。そうではなく、色覚特性のちがいは確かに存在するのです。それも、私たちが想像する以上に、タイプのちがい、程度のちがいを含めた、多様な色覚特性が。しかし、「ふつう」のハードルがどんどん高くなっているのだ、というように言えるでしょう。
つまり、特定の色覚特性を異常とか障害として処遇してきたのは「名札」や「レッテル」ではありません。そうではなく、特性のちがを浮き立たせてきたのは、「色覚に大きく依存した技術の普及」です。さらに、そのことを背景にして、「これが見えるのが普通といった推論」が、日常的におこなわれるようになったからです。
「社会」が、多様なもののあいだに一本の境界線を引き、異常か正常かという二分法でふるい分けてきた、と言えるでしょう。しかも、その境界線がどこに引かれるかも、時代や社会によって異なってきました。色覚の多様性そのものは自然現象でも、この境界線の引かれ方は明らかに人為的なものであり、社会現象なのです。
さて、問題はその「社会」の内実です。私は、それを、人々の「通念」や「観念」の問題ではなく、技術と習慣の問題だ、と捉え直そうとしています。
歴史をひもといてみても、「ハンディになるのではないか」「危険なのではないか」といった代表的な推論は、鉄道や海運における色分け信号の発明とともに発生したことがわかります。「色盲」という、今日はもう使われていない言葉も、その「技術や習慣」のなかで、19世紀後半から20世紀前半にかけて、成立したものだったのです。
この点について、人はよく、「多数の色覚に合わせて社会が作られたから」と、考えてしまいがちです。しかし、注意が必要でしょう。私たちはいつどのようにして「これが普通の色覚だ」と確かめ合ったでしょうか? むしろ、先にいろいろな色分けをしておいて、そこから「これが見えるのが普通」というように、逆立ちした推論をしてしまっているのではないでしょうか。
−−私が色弱を「社会的につくられた異常」だと呼んでいるのは、「実は色覚のちがいなど存在しない」と言いたいためではなく、「実在するとはいかにしてか」「あるとはいかにあることか」と問い、その社会的・歴史的要因について考えたいから(医学だけでは往々にしてそこが抜け落ちてしまうから)、なのです。