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手塚治虫「ブラックジャック」より「命のきずな」

 以下は現代史の資料として紹介・コメントするものです。

 『週刊少年チャンピオン』1977年5月16日号に掲載、秋田書店刊のチャンピオンコミックス『ブラックジャック』第19巻(1979年8月)に収録。
 「色盲」に対する「典型的な誤解の典型」であろうと思われる。
 −−以下の紹介とコメントには作品の内容が含まれています。知りたくない人はご注意ください。


 赤子を失った女性と親を失った赤子。これに変身+すりかえ劇をミックス。つまり、ブラックジャック(以下BJ)は、両者の命を救ったうえ、これがあなたの赤ちゃんだとごまかして失意の女性に引き渡す。瞳の色が実子とちがったが、彼女が色盲だったために気づかなかった。

 もうすこし詳しく書くと−−

 女性が大やけどで死にかかっている。「精神力」が頼りなのだが、彼女に大やけどをおわせた同じ飛行機炎上事故(事件?)には彼女の夫および赤ちゃん(ロベール)も巻き込まれており、その落胆で生死の瀬戸際から抜け出せそうにない。

 その飛行機を、BJは空港で待ち受けているところだった。例によって法外な手術料を取り立てようとしている相手、「バリン」氏が、その飛行機に乗り合わせていたからだ。しかし、同機は着陸後、滑走路上で突然に爆発・炎上する。バリン氏とその妻は死亡、幼い赤ちゃんだけが重いやけどをおって病院に運ばれた。

 BJは、看護師に求められてまず大やけどの女性の手術をてがけ、その他方でバリン氏の消息を追って、その赤ちゃんの手術も掛持ちすることとなる。

 しかし、このままではこの子は孤児となってしまうし、女性には精神的な支えがない。そこで一計を案じたBJ、その女性に、あなたの赤ちゃんは救出されて別に治療を受けている、と伝えるのである。

 お約束通り、手術は奇跡を呼んで二人は助かる。が、ことの成り行き上、回復後には二人を引き合わせなければならない。ところが、そこで問題が発生した。ロベールは「青いひとみ」の子だったのだが、助けた赤ちゃんは「とび色」のひとみだったのだ。

 −−そこで用いられたトリックが「色盲」であった。
 女性のカルテをのぞきこんだBJ、「そうか……そうだったのか、なるほど! 天へ祈ったかいがあったぜー!」と謎のセリフを吐く。謎のまま、緊張の赤ちゃんすりかえは成功。抱き合う母子。
 こんなことがありうるだろうか? 顔も身体の特徴もちがうだろうに……。読者の疑問は、まず、次のやりとりで解消される(解消されたと見なす、という手続きを踏む)。
 「顔がすこしかわったろう?」「かわってもあたしのロベールですわ」。
 大団円を見届け、立ち去ろうとするBJ。しかしまだ疑問が残っているだろう。看護師が読み手になりかわって「でも先生、とび色の目なのに別の赤ちゃんということをどうしてあのおくさんは気がつかなかったんでしょう」と尋ねる。
 「神さまってのはたまにごまかしに手を貸すこともあるのさ」。
 で、最後の一コマ。BJ、車で立ち去りつつ、セリフ、若干の土煙、そして立ち尽くす看護師だけが残される。
 「あの奥さんは色盲なんだ」。

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 「ブラックジャック」は実に不思議な作品である。リアルな筋書があるかと思えば奇妙奇天烈な作品もある。いわゆるマンガのようなタッチでありながら劇画の要素もある。その不思議な拮抗のうえで読み手を納得させてしまう。

 というよりも、登場人物が手塚キャラ総動員なら、物語のバリエーションも総動員。 SFだったり怪奇小説だったりおとぎ話だったり本格的な短編小説だったりする。読み手は、その都度その都度、読み方を変えられてしまう。動員すべきリアリティ感覚や空想力が、まるで異なるのである。

 なにしろ、同上エピソード「命のきずな」は、秋田書店刊の『ブラックジャック』第19巻に第178話として収められているのだが、そのすぐ後ろ、179話の「未知への挑戦」では、なんと宇宙人を手術で助けてしまう(『週刊少年チャンピオン』掲載は一年ほどちがうものの)。

 その荒唐無稽さに比べれば、いかに人命救助とはいえこんな赤ちゃんすりかえが許されるのか、とか、青い瞳ととび色の瞳を識別できないとはどんな色覚を想定してのことなのか、とか、そもそも彼女が色盲であることが緊急に運び込まれた病院でのカルテを見てわかるものなのか、とか、やけどや手術で風貌に変化が生じたといえども瞳の色が識別できない程度で母親が他の子を自分の子と思い込むだろうか、とか、いや赤ちゃんだって女性なら誰でも母親と思うわけでもあるまいに、とか、将来、その子が大きくなって自分にも夫にもぜんぜん似てないといったことになった場合にどうなるのか、といった疑問は、神業のようなブラックジャックの手術法が医学的に本当に正しいのかどうか、といったことと同様に、もはや大したことではなくなってしまう。そんなことよりも、読み手は、オー=ヘンリー流の(?)お約束である最後のどんでん返し、種明かしを楽しむよう、誘い込まれてしまうのである。

 あいまいで多岐にわたるリアリティという「ブラックジャック」の性質がなければ、そのドラマの多くも成立していないと思われるので、それ自体をやみくもに否定することはできないのであろうとは思う。が、しかし他面、人に受苦をもたらすリアリティの水準まであいまいになり、問題含みの描き方がそれだけ増えてしまったこともまた事実だろう。

 この「命のきずな」はその後者、問題的な作品だというべきであろうと思う。

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 手塚研究の課題としていえば、この「色盲」観を彼がどこで身につけたのか、ということが一つあろうと思う。

 特定するのは容易ではなかろうが、戦時中、色覚検査は徴兵検査として用いられているわけだから、手塚の世代がこれを知らぬわけはなかった、と推測することはできるだろう。

 また、手塚が医学を学び始めたのは、大阪帝国大学附属医学専門部に入った1945年7月のこと。石原忍が、1941年に朝日賞、学士院賞を受け、『学窓余談』(1941年)、『日本人の眼』(1942年)を著すなど、影響力が大きかったころ、ということになる。手塚の専門は眼科ではなかったものの、そのルートもありえよう。
 石原の著書、『日本人の眼』(1942年、畝傍書房)には、「全色盲者」として女性の写真が載せられていたので、本作に「色盲」の女性が登場することと符合している。

 もっとも、この作品に見られる「色盲」観念は、医学的な基礎を持つものというよりは、むしろ「色が見えないのだろう」という「典型的な誤解」の「典型例」ではないかと思う。だとすれば、それは「色盲」という言葉が世間にどんな印象をふりまいていたかを示す文化的化石かもしれない。

■ 2016年2月29日

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