拙著『色覚差別と語りづらさの社会学』について、こんな声をかけていただくことがあります。「色覚差別って、色が見分けられない障害なのに検査もしてもらえない、あれのことですよね。ひどいですね」。
善意で共感しようとしてくださっているこの声も、私にとっては言葉を失ってしまう瞬間です。つまり、幼少期に受けた篩い分け検査で不安や戸惑いを覚えたことや根拠の曖昧な進路制限が多くあったことなどは伝わっておらずに、他方、色が見分けられないといった単純なイメージは存続している。「いや検査といってもね」と説明しようとしても、へたをすれば「ひどい」側にまわされかねない。何をどこからどう話せば・・・と、「語りづらさ」とは現在の私の経験でもあるわけです。
しかし、人がこう推論してしまうのはいかにしてでしょうか。現在の支配的な言説状況を想像してみます。第一に、色覚差別の体験を知る読み物がほとんどありません。著名なのは團伊玖磨さんのものですが、しかしその内容は、検査がなくてつらい思いをした、差別されても打たれて強くなろう、といった論理。個人の気概を表現したその論が、色覚検査の問題的な歴史を隠蔽するのに用いられるのでは困ります(だから拙著でとりあげました)。かつての色覚検査の実態と当事者の経験を語り継いでゆく必要があると思います。
第二に、いま私たちは「史上最もカラフルな社会」に生きています。以前は「日常生活に支障はない」がお決まりでしたが、いまはコンピュータで容易に色を操作できる世の中、まるで毎日の生活が色覚検査です。その経験が「色覚障害」という言葉でかたどられているのです。色の暴走にブレーキやハンドルを加えなければ、適性という名の制限の論理も復活しかねません。若い世代の当事者は、そんな世間に何の顧慮も払われないまま放り出されている、という不安を感じているかもしれません。ケアや配慮という発想を感じられない「色覚検査のすすめ!」という周知のポスターは、時代錯誤的であるだけでなく、そんな当事者の不安をあおってしまうでしょう。
してみると、今の世代の経験をも丁寧にくみあげてゆく必要があります。きっと世代的に多様な経験があるのです。昔日の負の烙印といっても軍国主義時代と戦後では意味が異なるでしょう。当事者とその親でも異なるでしょう。拙著を序論として種々の経験を集成する色覚差別史を構想できれば、と感じているところです。