夕闇迫れば

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正のインフォーム

 「正のインフォーム」を受ける機会を創出することが、今日、必要ではないでしょうか。

 私たちの社会は、多様性を尊重し、合理的配慮やユニバーサルデザインを追求して、バリアを可能なかぎり除去してゆく方向に向かって舵を切ったこと、それが今日の国際的な約束であり、そのための法律もできたこと、当事者には尊重され配慮される権利があること、それが決して特権ではなく誰にも認められるものであること、それを守り育ててゆくことがいま求められていること・・・

 こういった知識や哲学をシェアしてゆくこと(インフォーメーション)が、何よりの励み、ケアや支援になるはずです。それが「社会常識」にならなければなりません。

 そうでなければ、検査をどれだけ「当事者の希望」に即して、技術的な意味で「正しく」おこない、「プライバシーに配慮」したとしても、その結果は「不向きな道は避けておきましょう」というマイナスの意味しか持たないでしょう。

 「自覚して自制するのが当事者の利益」という論理があります。しかし、それは、現状の技術や習慣を与件化し、補強しているようなものです。人間が社会をつくるのではなく、社会が人間を選別する論理です。
 「自覚していれば周囲に理解や改善を求めることができるではないか」という論理もあります。しかしそれは、その声を聞き取りうる耳を社会に作り出さなければ、実効性がありません。

 両方とも、暗に「諦めておくのが無事・無難」と、当事者に告げているようなものです。

 求められているのは、人間を現実に合わせて部類分けする社会への適応を個々人に迫ることではなく、現実をよりよく人間に合ったものにつくりかえてゆこうとする意志と尽力です。

 はなから「そんな理想みたいなこと言っても空文句になって、かえって損失をもたらしかねない」と専門家は言ってはなりません。それは当事者に対する「負のインフォーム」になります。

 当事者の尊重とは、負のインフォームを受けた当事者のあきらめの声を「尊重」することではなく、「正のインフォームを通して声を共に育ててゆこうと努力すること」ではないでしょうか。

2018年10月4日 facebook
 

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