身の回りの(たとえば学校の教室内の)サイン体系については、「カラーバリア」の解消だけではなく、いろいろな特性を持つ人のことを考慮しなくてはなりません。もとより容易なことではありませんが、「こうしておけば万事OK」式にマニュアル化してあとはストップしてしまう、というのではなく、そもそも規格化できない人間の多様性を認識し、たとえ万全とはゆかなくても「個」を尊重し考慮しようとする方向性の態度を持ち続けること、そうしようと努めることが「ユニバーサル」ということなのでしょう。
いわば「ユニバーサルにデザインしようとする社会」。
そのどこかに必ず、あなたも私も、「当事者として」存在する。完璧に「典型」な人間など、どこにもいないのですから。
自閉症とか発達障害が提起しているのは、そのような自己理解がキーだということではないでしょうか。