夕闇迫れば

All cats in the dark

■ ホーム > 古テクスト  >  第1集  > この色、なに色? 

 【要旨】 「これは何色?」という質問をよく受けた。が、それは、誰にとっても回答不能の質問。色の呼称は、「ものの本質」ではなく「経験」につけられた名前にほかならない。

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この色、なに色?

 「これ、何色に見えるん?」。 

 級友たちからは幾度となくそのような質問を受けました。「色盲」とは、色が見えない、青が黄色に見えたりするらしい。そんな推測をしているようなのです。友人は、たとえば黒板を指して言います。「あの色、なに色?」

 私は、ショックは覚えませんでしたが、説明に困りました。

 私の目にうつっているあの黒板は、たしかに「緑」(深緑)ですが、それを告げても回答にはならないでしょう。なぜなら 、彼の疑問は、「その緑とワシの見ている緑は同一か?」と問うているのだからです。

 しかし、私の見る「緑」と友人の目に映じている「緑」とが同一であるかどうか、どうやって確かめればよいのでしょう。「○○草と同じような深い草色」のように表現してみても、対象が入れかわっただけで、事態に変わりありません。けれど、それは、私たちの、誰と誰をとってみても、同じではないだろうか・・・私たちはみんな、「○○草」の色の経験を「みどり」と呼んでいるだけのことで、他人がそれを何色に見ているか、確認などしていないし、できません。

 「緑」とか「赤」とかは、なにも、モノに備わっている「本当の正しい色」(1)のことではなく、私たちの経験を呼んでいる名前なんだな、と、いやがおうにも悟らされます。中学の頃でした。

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ノーツ

 (1) 対象とその性質、および言語
 赤は止まれ、青は進め。−−これは、それが本当に赤であるかどうか、あなたがそれを他人と同じ赤に見ているかどうか、問題にしてはいないでしょう。赤と呼ばれている色が点灯しているのを見たならば、止まるべきである、という意味です。
 もし目が原理的にカメラにたとえられるとしても、それは「モノの本性」を写し取るといった芸当などしていません。赤外線カメラを使えば、それこそ「一目瞭然」でしょう。かと言って、無色の対象に目が「色を塗って」いるわけでもありませんが。
 そういう「認識」の問題と、それを「みどり」と呼ぶ「言語」の問題との間には、さらに次元の差があります。小さな子が、色の「正しい名前」を言えなかったとしても、それだけで「色盲かもしれない」と考える ことはできません。  →本文へ

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この項、おわり  前頁へ   次頁へ