「私の場合」節で、私は、こう書きました。
【引用】 私は「私の場合」を知らないのです。ある意味では、これが一番の問題だとさえ、言えるでしょう。……[略]……
「医学部は避けた方がいい、学校の先生もムリかも」といった、一生を左右する指導をされながら、精密検査もなければ何の説明もなかったとは、いったいどういうわけだったのでしょうか。
検査で「色弱」だと指摘されても、励ましやケアは、一切ありませんでした。生活上の注意点なども、説明を受けた覚えがありません。唯一の「アドバイス」は、「この道には進むな」という、そういうネガティブメッセージ「のみ」、「それだけ」なのです。私本人の志望を尋ねられたことすら、ありません。
考えてみれば、小中学校の先生には、説明やケアができるはずがないのです。なぜなら、 職員室には、カウンセラーはもちろん、「色覚異常 」の人すら存在しなかったのですから。私が受けた進路指導も、おそらく、いままで見てきたような「解説」によって、おこなわれたに違いありません。
たぶん、こんな法則があると思うのです。職場に色覚「異常」の人がいない。すると、その職場では色覚に関する知識が蓄積されない。となると、マニュアルに黙々と従うしかない。結果として、ますます排除の力学が作動する。
排除が排除を再生産する法則、というわけです。