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資料

色覚検査表の歴史(1) 年表

簡便で正確な検出

 医学の近代化が著しく進展した大正から昭和にかけての時期、色盲表は、いわば開発競争時代だったと言ってよいであろう。色盲があたかも近視やトラコーマとならんで大きな克服対象であったかのごとくである。石原忍の考案によるものが確かに群を抜いて多いのだが、開発はそれ以前からすすんでいたし、発明されてから他の研究者が種々に改良を重ねたものも決して少なくない。

 石原表のように、いろいろの色のモザイクのなかから数字や文字や記号を読みとるよう設計されたものを、「仮性同色表」(かせいどうしょくひょう pseudo-isochromatic chart)と言う。その原理じたいは石原の独創ではない。石原表の出現以前に、それは存在する。石原表は、同原理の最初のものである「スチルリング表」を改良したものと位置づけられている。

 その原理は、端的に、色の認知を行動上に表現させること、と言ってよい。

 ナーゲル氏アノマロスコープの原型
 ナーゲル氏アノマロスコープの原型 (石川・若倉 1997: 315)

 また、検査「器具」についても、すでにナーゲルのアノマロスコープが発明されており、正確な測定のためにはこれを用いなければならないとされていた。

 これに対する同色表のメリットは、1)集団検診しやすいことと、2)検者に専門的知識が不要であること、である(太田 1997: 40)。

 たとえば軍隊や学校での一斉検査は仮性同色表の開発によって可能になったものであると言える。

 一斉検査のねらいは、色盲・色弱の疑いを簡便に検出することにある。1955年に著された『色覚及びその異常』は次のように言う。

 「かかる目的で行われる検査は、多くの人々の中から異常者を撰り出すものであって、篩い分け検査 Screening test と称す。本検査は極めて多数の人々を対象とするものであるから、(1)極めて簡便な器具を使用し、且つ短時間で終了する方法でなければならぬ。(2)専門的知識を持たない検者にも、容易に正しい判定が下され得る方法でなくてはならぬ。(3)しかも異常者は1人でも見逃されてはならぬ。(4)但し、正常者が異常者と見誤られる危険があってはならぬ。(5)詐色盲或は色盲隠匿が許される方法ではいけない。(6)同時に、以上の種類が決定され、且つ大略乍らも程度が判定されれば、理想的である」。 「此の篩い分け検査に、現今全世界で最も広く用いられているのは、仮性同色表(……[略]……)様式のもの、就中石原式色盲検査表である」。(加藤 1955: 83.青字は原典では太字)。

 スチルリング表では、弱い色弱者に読めない表は健常者にも読みにくいという弱点があった(石原 1941: 215; 須田 1984: 97)。これに対して、石原表の優秀性は簡便な検出力にあった。石原の『小眼科学』でも、「色覚の精密な検査には ナーゲル アノマロスコープを用いる」とされており、石原表が他に「及ぶものがない」とされているのは「簡便で正確な検出」なのである(石原 1977[1925]: 29)。

 『小眼科学』の改訂を引き継いだ鹿野信一も、こう述べている。「色覚異常があるかどうか、つまり異常者の検出にはこれほど正確鋭敏な、しかも単純に短時間にその力を発揮する表はない。最近の医学の進歩に伴って色覚検査の方法も種々と出てきているが、その多くは色覚異常の有様、その性質を調べる方法で、まず最初のふるいわけには未だに石原表の右に出るものはない」(鹿野 1984: 234)。

 簡便で正確なふるいわけ−−幾多の色盲表が競い合いながら追い求めてきたものは、それなのである。

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厳密化・早期化は戦後

 検出に加えて、その程度や類型をも測定しようという動きは、戦後になってから始まる。時代が軍国主義から産業主義に変わり、徴兵検査における異常の「有無」よりも多様な「職業適性」が課題となってきたからである。

 1950年に発表された大熊篤二の『色盲色弱検査表』は、検出だけではなく、類型や程度をも測定しうるものだった。1957年に発表された馬詰・関ほか 『東京医科大学式色盲検査表』(村上色彩研究所)も、色覚異常の類型や程度をも測定しうる表を備えていた。1979年になると、大熊篤二 『新色覚異常検査表(検出表、程度表)』も発表される。

 これと前後して、戦後には、検査早期化の動きが相次いでいた。

 ひらがな表の開発など、小児用の工夫は以前から為されていたが、1957年に松原による『松原式幼児色盲検査表』が発表されると、先だって1950年に『ひらがな色盲検査表』を開発していた石原が、さらに、1960年には『小児用曲線色盲検査表』を、1963年には『幼児色盲検査表』を発表する。

 こうして、1960年代以降、史上最も厳格・早期の一斉検査態勢がつくりあげられてゆくのである。

 これは、1958年に学校保健法が施行され、その施行規則で「色盲検査表を用いて検査し、色神障害の有無及び障害の種類を明らかにする」と規定されたことと連動しているだろう(「色神」は当時の用語で、1973年の学校保健法改正で「色覚」に変更された)。

 なお、今日では、仮性同色表を用いた検査だけから色覚異常だと診断することには危険が多いとされている。

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色覚検査表の歴史年表

以下は過去に関する資料です。取扱にはご注意ください。

 以下は、奥沢(1997)の表5−4、および太田(1997)の記述を基本として作成した年表である。ただし、戦前のものは特に「版行年、再版の有無の不明な点も多い」(奥沢 1997: 167)。

 また、表名のうち、「○○氏式色盲検査表」の人名部分「○○氏式」が、専門家らの通称なのか、正式名称なのか、私には判然としない。ここでは、原典によって確認できたもの以外は、原則的に「○○氏式」を省いた。

 特に注目されるべきと思われるものは太字で強調した。直接関連するとは限らないが、四角■印によって行政の動きも加味した。検査表ではない検査機器などは(参)とした。アステリスク*は資料上の注釈。

 なお、この年表は、『色覚差別と語りづらさの社会学』所収の付表の原型となったもの。多くは二次資料によるものとはいえ、関心を持つ人が調べようとしても他に類表の一つも存在しないのが現状である。
 資料とつきあわせてのチェックはおこなったが、不明な点も多いとのこと、また私のミスもあるやもしれないので、利用にあたっては注意されたい。


 1876年
(参)アラリク=ホルムグレン 羊毛法を導入。
 1877〜1887年
 ヤコブ=スチルリング スチルリング仮性同色表。表数8。
 1907年
(参)ウィリバルド=ナーゲル アノマロスコープ発明
 1910年(明治43年)
 小口忠太 「新案色神検査表」(カルタ型色神検査表)。10019人の軍人に使用。スチルリング氏表と併用すべきとの記述(奥沢 1997: 168)。
 1911年(明治44年)
 小口忠太 「仮性同色表」(小口氏仮性同色表)、第1版。表数20。日本で最初の本格的色覚検査表とされる(太田 1997: 40)。
 1913年(大正2年)
 小口忠太 「仮性同色表」、第2版。表数24。
 伊賀文範 「伊賀氏新撰色盲検査表」(伊賀氏仮性同色表)、第1版。主として鉄道院において使用された(奥沢 1997: 168)。すべてカタカナ表。表数15。
 1914年(大正3年)
 (参)尾崎宰 色盲検査器。
 1916年(大正5年)
 石原忍 「色神検査表」(陸軍衛生材料廠蔵所)。表数12。いわゆる「大正5年式」検査表。非売品だった。
 石原忍 「日本色盲検査表」、第1版。カタカナ表。表数16。
 伊賀文範 「伊賀氏新撰色盲検査表」、第2版。ひらがな表に。表数22。
 内山伝之助 「試作色神検査表」(内山式色神検査表)。
 1918年(大正7年)
 石原忍 「日本式色盲検査表」、第2版。
 石原忍 「万国色盲検査表」(石原式万国色盲検査表)。
 石原忍 Test for Colour Blindness
 *奥沢によれば、「石原式欧文色盲検査表(石原式万国式色盲検査表)」が大正8年(奥沢 1997: 168)。つまり、1919年。しかし、太田に従えば「万国色盲検査表:大正7年(1918)、同表の英文検査表Test for Colour Blindness:大正7年(1918)」(太田 1997: 44)。ここでは後者を採った。*石原は同書600冊を印刷、そのうち90冊を各国大学に寄贈した。
 1919年(大正8年)
 馬島清蔵 for use in the Diagnosis classification and degree of Daltonism by Kiozo Majima publisher Research Laboratory Higashiyama Eye-clinic, Nagoya, Japan *原資料(奥沢 1997: 168)のまま。
 1920年(大正9年)
 ■ 色覚検査が義務教育の中で検査項目として規定される。
 1921年(大正10年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第1版〜第3版(3月に第1版、6月に第2版、9月に第3版)。
 石原忍 Tests for Colour Blindness
 伊賀文範 「伊賀氏新撰色盲検査表」、増補第4版。
 1922年(大正11年)
 (参)孫遵行 「自家考案色盲検査表」。
 石原忍 「石原式色盲検査表」、第7版。表数32。
 1923年(大正12年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第4版。
 1924年(大正13年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第5版。
 1925年(大正14年)
 石原忍 Tests for Colour Blindness、第5版。この版からすべて英文題名に(太田 1997: 44)。
 1926年(大正15年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第6版。
 大谷顕三 「簡易色盲検査表」。
 1927年(昭和2年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第7版。
 1929年(昭和4年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、新訂第8版。表数10。
 1931年(昭和6年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第9版。
 石原忍 「日本色盲検査表」、第8版。表数12。
 1932年(昭和7年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第10版。
 石原忍 「新色盲検査表」。表数15。
 石原忍 The series of plates Designed tests for Colour Blindness  (Kanehara,Tokyo,Osaka)、第6版。表数16。*英文の綴りは原資料(奥沢 1997: 168)のまま。
 1934年(昭和9年)
 小口忠太 「最新色盲検査表」。表数18。これまでの小口自身による「色神検査表」(1910年)・「仮性同色表」(1911年)から選りすぐりを折衷して創作し、迷行表(迷路表)を含めた。「我が国独自の表」(太田 1997: 43)。
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第11版。
 1935年(昭和10年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第12版。
 1937年(昭和12年)
 小口忠太 「簡明ひらがな色盲検査表」 
 石原忍 「邦文国際色盲検査表」
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第13版。
 (参)高橋尚三 新案色神視力検査器。
 1939年(昭和14年)
 石原忍 「国際色盲検査表」、第11版。
 1940年(昭和15年)
 石原忍 「学校用色盲検査表」、第14版。
 1941年(昭和16年)
 石原忍 「曲線色盲検査表」
 1942年(昭和17年) 
 石原忍 「新色盲検査表」
 1944年(昭和19年) 
 ■ 色覚検査が戦時中の特例により検査規程から外れる。
 1947年(昭和22年) 
 (参)ファーンズワース 「パネルD-15テスト」を開発。色並べにおいて生じるずれのパターンによって判定。類型も把握できる。
 1949年(昭和24年) 
 ■ 色覚検査再開。
 1950年(昭和25年)
 石原忍 「ひらがな色盲検査表」
 石原忍 「綜合色盲検査表」
 大熊篤二 「色盲色弱度検査表」。検出のみならず、類型・程度をも測定。通称「大熊表」。類型・程度の判定は「世界に先駆けて」の開発だった。石原表で検出されたものをさらに微度・弱度・中等度・極度の4段階に区分するもので、必ず石原表と併用しなければならない(太田 1997: 45)。
 1957年(昭和32年)
 馬詰・関ほか 「東京医科大学式色覚検査表」(村上色彩研究所)。検出・分類・程度の測定。職業分類表を付す。通称「TMC表」。混同色理論をもとに考案された最初であって、「経験と勘に頼って作成された色覚検査表の時代は終わりを告げた」(太田 1997: 49)。退色性の低い合成樹脂の溶液を混ぜた顔料で印刷。その印刷技法から、読み取るべき数字はデジタル型の形となった(太田 1997: 45)。
 松原廣 「幼児色盲検査表」(松原式幼児色盲検査表)
 1958年(昭和33年) 
 ■ 学校保健法によって「色神障害の有無及び障害の種類を明らかにする」と規定される。就学時、および毎年、全児童に色覚検査を実施。
 1960年(昭和35年)
 石原忍 「小児用曲線色盲検査表」
 1962年(昭和37年)
 石原忍 「綜合色盲検査表コンサイス版」
 馬詰・太田 「中心暗点検査表」(U-O Test)
 1963年(昭和38年)
 石原忍 「幼児色盲検査表」 
 馬詰・関ほか 「東京医科大学式色覚検査表ロータリー版」(村上色彩研究所)。幼児用。見開きの左側に4個、右側に4個の図形が描かれ、右側の図形が中心で固定されていて回転するようになっている。それが左側のどれに相当するかを答えさせる(太田 1997: 45)。
 1973年(昭和48年) 
 ■ 学校保健法の施行において、小1・小4・中1・高1・高専1の検査で「色覚」の有無および「強度異常」「弱度異常」を判定することに。
 石原・大熊 「新色覚異常検査表」。
 1978年(昭和53年)
 ■ 文部省令により学校では色覚異常の「有無」の検査に。
 1979年(昭和54年)
 大熊篤二 「新色覚異常検査表(検出表、程度表)」
 田辺・深見ら 「標準色覚検査表」 通称「SPP表」。パネルD-15の色票を基本色として作成(太田 1997: 46)。
 1993年(平成5年)
 ■ 文部省通達で進学時調査書から色盲の項目が削除される。色盲で入学を制限する学校はほぼなくなる。
 1995年(平成7年)
 ■ 小学校4年生のみの実施に。教室ではなく別室で、担任ではなく養護教員がおこなうことに。
 高柳泰世・金子隆芳 「カラーメイトテスト(色のなかまテスト)」。教育用配慮の有無を判断するのに特化した表。通称「CMT表」。
 2001年(平成13年)
 ■ 労働安全衛生法の規則改正で、雇用時の色覚検査を廃止。業務に困難が予想されるなら業務内容を説明するよう指導することに。
 2002年(平成14年)
 ■ 学校保健法施行規則の改定で、定期健診の必須項目から削除。
 2014年(平成26年)
 ■ 学校保健安全法施行規則の改定で、希望者に色覚検査を実施することに。

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文献

■ 2007年06月01日版 
■ 2016年3月3日、改訂、タイプミス等を修正。

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