夕闇迫れば
All cats in the dark
資料
学校用色盲検査表
はじめに
子どものころ、小学校から高校に至るまで、色盲検査というものを何度も受けた。 私の場合は、ほぼ1970年代のことである。「色神」という言葉もあったと思う。小学校や中学校で、身体検査などのおり、色盲・色弱が疑われる者だけではなく、全員が受けたのである。 結果は、いわゆる「通信簿」の健康欄に書き込まれた。「異常」とされれば、工学、医学、美術、教職などの道には進めないと進路指導された。
1990年代以降、一斉検査は緩和・撤廃され、進学や就職において色覚が制度的に問題視されることも少なくなった。これは、「本人を支援するため」等の正当化の論理にもかかわらず、それにしてはあまりにも検査が一律的であり、ケアもなされておらず、しかもそのデータが教育改善や社会環境の改善に役立てられるわけでもないといった理不尽が(つまり不当な差別や排除が)終わったのだから、もちろん、好ましいことである。しかし、色覚検査がどのようなものであったのか、体験を共有できる人が少なくなったり、色覚検査表を見たことがない人が増えたりしてゆくと、そもそもなにが問題だったのか、わからなくなってしまうおそれがある。
なお残る社会問題について考えるときや、将来の社会について想像してみようとするときにも、過去のことをはっきり知っておかないと、どこへ向かえばよいのか、考えづらくなるだろうし、過去と同じことをしてしまったりする危険もあるだろう。過去は封印すればよいというものではない。
そう考えているうちに気づいたのだが、私じしん、おとなになってから、色覚検査表というものを見たことがなかったのである。あれば買ってみようと思ったのだが、しかし、1)「本」として出ているようなものではないらしく、あるいは一般用のものではないらしく、2)いまはもう出ていないらしく、新品はなかなか見あたらない(これはこの記事を作成していた2010年前後の事情−−2016年1月追記)。それならばと古書を探した。私が入手できたのは、以下である。
- 石原忍、1940(昭和15)[1921]、『學校用色盲檢査表』新訂第14版、半田屋出版部。
いわばひとつの博物館的資料として、部分的に紹介する。
なお、ここでは評価や批判や疑問をなるべくさしはさまずに紹介することにする。これについての私なりの考察は、「緑の犬: 「色盲検査表 解説」を読む」や、「『小眼科学』より(2)」に付した解説などをごらんいただきたい。
以下は過去に関する資料です。取り扱いにはご注意ください。
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学校用色盲検査表 画像編
- 凡例
- 1.画像は古本からスキャナで読み取ったもの。もともとの色とはかなりちがうと思われる。そもそも原典はパソコン画面とは異なり自ら発光していない。
- 2.引用部分の旧字体などは現在風に改めた。
表紙。 大きさはA5判(つまり右の写真がA4用紙の半分の大きさ)。
ひらくと、扉頁における著者「石原忍」の肩書きは、「陸軍軍医監 医学博士」とある。これは昭和15年発行の新訂第14版。
中央の図案は、コウモリとツバキ。コウモリは錐状体のない「杆状体動物」であり、色の識別ができない。つまり図案は、コウモリには椿の花の色がわからない、という意味だという(須田 1984: 78)。以下の文章篇にもコウモリは登場する。
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第1表(1頁)。
「説明」(頁数が入っていない)によれば、「健常者も色盲者も共に12と読む」。このように、誰にも読めるという表は、この1パターンのみ。
なお円の直径は私の実測で9センチ。以下同様。
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第2表(2頁)。
「健常者は6と読み、赤緑色盲者及び赤緑色弱者は5と読み、全色盲者は両字共読み得ない」。つまり、
- 「健常者」 ……読める
- 「赤緑色盲」「赤緑色弱」
……部分的に見える
- 「全色盲」 ……読めない
このパターンが、表2・3・4と続く。
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第6表(6頁)。
「健常者には6と読めるけれども、赤緑色盲、赤緑色弱及び全色盲者には多くは読めない」。
- 「健常者」 ……読める
- 「赤緑色盲」「赤緑色弱」
……読めない
- 「全色盲」 ……読めない
このパターンが、表5・6・7である。
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同書「使用法」(頁数なし)によれば、以上の3パターンで検査の基本は終了する。つまり、
- 1表
- 2・3・4表のうち一表
- 5・6・7表のうち一表
の順に試験すれば、「通常検査の目的は達し得られる」つまり「色盲者を発見」することができる、とある。
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第8表(8頁)。
これは、「赤緑色盲」「赤緑色弱」なら「5」と読み、健常者・全色盲者なら「多くは読めない」とされているもの。 つまり、
- 「健常者」 ……読めない
- 「赤緑色盲」「赤緑色弱」
……読める
- 「全色盲」 ……読めない
このパターンは、この一つのみ。これは石原式検査のユニークな点でもある。
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第9表(9頁)。
これは色盲・色弱の「程度」をはかるもの。つまり、「赤緑色盲者の多くは2又は6の一字を讀み、赤緑色弱者及び健常者は両字共に讀み得る」とされている。 つまり、
- 「健常者」 ……2文字とも読める
- 「赤緑色盲者」
……1文字のみ読める
- 「赤緑色弱者」
……2文字とも読める
- 「全色盲」 ……「不定」
このパターンが、表9・10である。
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ちなみに、奥付。
大正10(1921)年に第1・2・3版が出、ほぼ毎年のように版を重ねている。 |
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なお、入手した古書においては、第1表を例外として、すべての表の下に、鉛筆による手書きで、下のような書き込みがある。書き込みの数値は表を正しく読んだ場合の数値と一致するので、これは表の読み方を示すものと思われる(8頁にはバッテン「×」がある)。
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これは私が小学校時代に受けた色覚検査でも同様であった。私は表が読めない場合、この書き込みを盗み読みしていたので、よく覚えている。 |
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学校用色盲検査表 文書編
- 凡例
- かこみの中が原典からの引用である。
- 「發育」→「発育」のように、旧字体の漢字は新字体にかえた。
- 「然るに」「此の」「及び」→「しかるに」「この」「および」のようにひらがなにした。
- 「行はれた」「云ふ」→「行われた」「いう」のように改めた。
- 必要な補注は[ ]に入れて挿入した。
タイトルは「付録 通俗色盲解説」という。次の5節からなる。
- 色盲の種類
- 色盲の発生ならびに遺伝
- 色盲のために起こった過誤
- 色盲と職業
- 結 論
では、以下に抄録しながら、見てゆこう。
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1.色盲の種類
まず、先天的と後天的とが区別され、とくに先天性のものに注意すべきことが述べられる。
色盲には先天的に眼の発育不全で起こるところの先天性色盲と、生後眼の疾患で起こるところの後天性色盲とある。しかしてこの二つのうち社会的に比較的重大なる意義を有するものは専ら先天性色盲である。
「先天性色盲」は、「全色盲」、「全色弱」、「赤緑色盲」、「赤緑色弱」に区別される。以下、これらについての叙述が続く。
全色盲
まず詳述されるのは「全色盲」である。が、その説明の必要上、石原自身の視覚について述べられている。
説明の必要上ここに少しく吾人の眼のことについて話そうと思う。吾人の眼は明るい場所と暗い場所とで機能がまったく違うもので、明るい場所では物体が明瞭に見えるが、暗い場所では視力が十分の一か十五分の一くらいに減じてしまう。また明るい場所では物の色がよく見えるが、暗い場所では色は見えないで、ただ明るいと暗いとだけが分かる。のみならず赤色は暗く、青色は明るく見える。たとえば庭前に赤い撫子[ナデシコ]の花と、青い桔梗[キキョウ]の花と相並んで咲いているとき、これを昼間見れば撫子のほうが明るく見えるが、日が暮れると撫子の花は黒くなって、桔梗の花がかえって明るく見えるようになる。
この「暗い場所」での視覚が、すなわち全色盲の状態なのだ、という。
これは多くの人の知っていることであるが、全色盲にはすなわちこの現象があるので、この現象のほか、色の見えないことや、視力の悪いこと等が、すべて暗い場所の眼の機能と一致している。なお暗い場所から急に明るい場所に出ると、誰でも羞明を感じて眼を細くする。全色盲者が昼間眼を細くしているのはすなわちこの理である。要するに全色盲の眼は吾人の眼の機能のうち、暗い場所の機能だけがあって、明るい場所の機能の欠けているもので、ちょうど梟[フクロウ]や木莵[ミミズク]や土龍[モグラ]や蝙蝠[コウモリ]の眼のようである。
これの反対が、いわゆるトリメであるとして、次の説明が続く。
全色盲の反対は夜盲すなわちトリメで、明るい場所の機能だけがあって、暗い場所の機能の欠けているものである。すなわち昼間は人並みになんでも見えるが、日が暮れると全く盲目同様になって家に帰ることもできなくなる。ちょうど鶏や雀や蛇や蜥蜴[トカゲ]の眼のようなものである。
赤緑色盲・色弱
次に、「赤緑色盲」およびその「軽度」とされる「赤緑色弱」がとりあげられる。
最初に指摘されるのは、その数の多さである。すなわち、このタイプの色盲は「色盲のなかで最も多い」類型であり、「すべての男子の4−5%」と言われる。
その算出の根拠となっているのは、徴兵検査である。すなわち、そのタイプの色盲・色弱は、次の頻度で発生する。
大正五年から同八年にいたる四箇年間に、徴兵検査を受けた者百七十九万六千二十八人のうちに七万九千八百七十一人あった。すなわち約4.5%である。
さて、では赤緑色盲とはどのようなものなのであろうか。これについての石原の叙述はきわめて簡略であり、次の二文のみである。
赤緑色盲は青と黄が人並に見えて、赤と緑の区別のできないものである。しかし赤と緑との全然区別ができないようなのはなくて多くは大きな鮮やかな色ならば赤でも緑でも見えるが、視角が小さくなって色が不飽和になれば赤と緑とを誤る程度のものである。
このあと、「全色弱」についての説明が数文。以上で第1節は終了する。
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2 色盲の発生ならびに遺伝
まず、色覚の「発生」について、それが「眼の発育不全」だと説明されている。
「フランクリン」、「シェンク」といった先行研究者の業績によれば、人の眼は胎児期には全色盲であり、しだいに青と赤が弁別できるようになり、最後に赤と緑が弁別できるようになる。このどこで発育が止まったかによって、どんなタイプの色盲・色弱になるかが分かれる。−−
こう紹介する石原によれば、「一つの仮定説にすぎないのであるが、今日これ以上確かなことは分かっていない」。
次に、遺伝について、まず全色盲が次のように説明されている。
このごとく色盲は眼の発育不全であるから、したがってその原因としては、まず第一に遺伝的関係を考えなければならぬ。しかして実際全色盲は両親の血族結婚から起こる場合が多い。また全色盲の反対であるところの先天性夜盲もまた十中の七八は血族結婚によって起こるものである。
すぐ続いて、「赤緑色盲」が次のように説明されている。
赤緑色盲にもまた遺伝的関係は確かに認められる。兄弟が共に色盲であるという例は少なくない。ことに面白いことは色盲が健常なる女子によって男系に遺伝することである。すなわち色盲の素因を持っているところの女子は、たとえ自分が色盲でなくとも色盲をその子に伝える性質を持っているのである。
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3 色盲のために起こった過誤
この節は次の文言から始まる。
男子の4−5%が色盲であるとすれば世の中に色盲者の数は非常に多いものである。しかるに吾人は色盲のために誤りの起こった実例をあまり多く耳にしない。
すなわち、色盲のために過誤が起こることはあまりない。
この文言のすぐ後には、次の文言が続く。
また色盲者自身も自分で色盲のあることを発見する者は少なくて、多くは学校の体格検査とか、徴兵検査とかで偶然発見せられてみずから驚くのである。
すなわち、「色盲者」は自分が「色盲」であることに、なかなか気づかない。
つまり、1)色盲のために過誤が起こることはあまりなく、また、2)色盲者が自分の色覚特性を自覚することは難しい。
無自覚性
色盲者が自分の色覚特性を自覚できない理由は、次のように説明されている。
それは何故であるかというに、ひとつは色盲が先天的であるからである。……[略]……先天性色盲はいまだかつてその色を見た経験がないのであるから、他人もまた自分の通りだと思っている。したがって一向不便とも思わないのである。たとえばいまだかつて汽車や電車を見たことのない者が、その便利なことを知らないのと同様であって、そのような人々は決して吾々がたまたま電車の不通になった時に感ずるような不便を日常感じているわけではない。
つまり、1)色盲者は、「いまだかつてその色を見た経験がない」、しかも、2)「他人もまた自分の通りだと思っている」、さらに、3)「不便を日常感じているわけではない」、という理由で、自分の色盲に気づかない、というわけである。
ある鉄道運転手
以下しばらく、この無自覚性が話題となる。そこで登場するのが、ある鉄道運転手についての次のようなエピソードである。
また色盲者は実際過誤を生じてもこれを知らずして終わることがある。たとえば紅葉を見て緑樹と思い、また緑葉のなかに赤い花の咲いているのが見えなかったにしても、通常大なる差支は起こらないのでそのまますんでしまうが、たまたま他人から注意を受けたりした時などに、初めてその誤を発見するのである。先年余のもとに一人の鉄道の運転手が来て言うには、「自分は身体検査の時に色盲だと言われたが、色は何でもよく見えるので、いまだかつて間違えたことがない。この草履の鼻緒の赤いのなどはよく見える」と、色盲と言われたのが大に不平のようすであった。しかしその時の草履の鼻緒は実は濃い緑色であったのである。すなわち自分では正しいつもりでいても実際には間違っているのである。
しかし、次のようなただしがきが直後に続く。
なおこのほか前にも述べた通り、赤緑色盲者でも、色の鮮明なものならば赤でも緑でも通常区別ができる。これらの理由で、色盲のため実際に誤の起こることは余り多くはないのであるが、
つまり、過誤が起こることはあまりない。しかし、話題は急旋回して、
しかし注意して調べてみると随分大きな過をしているものもある。
事故・過誤エピソード
それを例証するために、「清水軍医」が「色盲の兵卒について調査した実例」が列挙される。それは、次のような例である。
- 子供の時、茱萸[グミ]の実をとりに行って未熟のものをたくさん混ぜて持ち帰ったため、母親から叱られた。またグミの木に登ってその実をとって食べたところが、大に渋いのを食べたことがある。
- 友達と共に桑の実をとった時、自分には友達のごとく敏捷にとれなかった。また夜間燈火の下では、熟したものと未熟のものとの区別がつかない。
- 途上で草と同じ色の犬を見ることがある。かつて緑色の犬と言うて同僚から笑われたことがあった。それいらい犬を見れば茶色、草は緑色と言うことにしている。しかしこの二物はまったく似た色としか見えない。
- 小学校時代から他の学科は優等であったが、図画のみは常に色彩を誤って、教師から叱られた。
- 林の中で測図をした時、樹の枝に結びつけてあった赤布が見えなかったために、道に迷ったことがある。
こうして、色盲と事故・過誤の関連が、話題になってゆく。
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4 色盲と職業
まず、全体の導入文が次のようにある。
汽車の運転手や汽船の船長が色盲であっっために、信号を見誤って不測の災難を来したという実例は、我が国にはあまりないようであるが、欧州には数々ある。
スウェーデンの列車事故
次からは事例の列挙となる。まずは、スウェーデンの列車事故。
最も初めにこのことに注意したのは我が明治八年のことである。この年に瑞典[スウェーデン]で汽車が衝突して九人の死者ができたのを、同国の生理学者ホルムグレーンが調査して、その衝突の原因は、運転手が色盲であって信号を見誤ったのであるということを発見した。
この事故についての記述はこれがすべてである。しかし、類似の事件が次々に起こったのだという。
それいらい人々が色盲の危険なことを知って注意し始めた。ところがそのころ頻々として同様の事件が起こったのである。
続いては、「同様の事件」が列挙されていく。
ノーフォーク沖の海難
同じく明治八年に英国ノーフォルクの近海において汽船が衝突した。これは一方の船長が色盲で緑燈を赤燈と見誤って舵をとったからである。
砲艦マリネロ
明治十年二月に西班牙[スペイン]の砲艦「マリネロ」が帆船に衝突してこれを沈没せしめたのは、帆船の船長が色盲で、砲艦の船燈を白色の港火とまちがえたからである。
帆船テレサ
また明治十二年にはギボラの港において帆船「テレサ」が沈没した。これは船長が海岸の赤い港火を、建物の白い火と間違えたからである。
注意すべき職業
こうして事故が頻発したので、色盲検査がおこなわれるようになったことが、次に述べられる。まず問題となったのは鉄道員、船員、そして軍人である。
かくのごとく色盲のために鉄道や船舶の事故が頻々として発生したために、明治九年瑞典国は率先して鉄道員および船員に色盲検査を施行することの規定を設け、その翌年独逸国、明治十二年墺地利[オーストリア]国がこれにならい、ついで我が国もまたこれを実施するに至ったのである。我が陸軍においてもまた明治四十二年以来、色盲者を現役将校に採用しないことになった。
さらに続いて注意すべき職業として、医師と薬剤師があげられる。
以上のほか、色盲者に不適当であるべき職業は医師および薬剤師である。この二者はもし色盲のために診断や調剤を誤ったならば、他人に危害をおよぼすようなことがないとも限らぬ。この意味においてはなはだ危険ではあるが、しかし我が国のみならず欧州諸国においてもいまだかつてその実例を聞かない。
また、「その他すべて色を取り扱う職業」が挙げられる。
その他すべて色を取り扱う職業に色盲の適せないのは明らかである。すなわち化学者、画家、染物業者、印刷業者、呉服業者等である。これらは他人に危害をおよぼすというようなことはあまりないが、しかし本人のために非常な不利益であって、もし色盲者がこれらの職業を選んだとすれば、とうてい生存競争に打ち勝つことは困難である。
こうして色盲検査の必要性が、訴えられる。
ゆえにすべての人、ことに男子は、その職業を選択するにさきだってぜひともいちど色盲検査を受ける必要がある。すなわち小学校時代において体格検査をおこなう際に、視力と同時に色盲の検査を要するのである。色盲検査法は近年著しく進歩したのであるから、その検査は視力の検査よりもいっそう容易である。
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5 結 論
次の三つにまとめられている。
一 すべての男子の約5%、すべての女子の約0.2%は色盲である。すなわち我が日本の人口を仮に七千万人とし、その半数を男子と見なせば、我が国中には約百八十万人 の色盲者がある計算となる。
二 色盲者は海員、鉄道従業員、陸軍現役将校等になれないのはもちろん、もしあやまって医師、薬剤師、化学者、画家、染物業者、印刷業者、呉服業者等になればその人終生の不利益であるのみならず、時として他人に災害をおよぼすようなことがないとも限らぬ。
三 ゆえに何人もその職業選択前において一度色盲検査を受ける必要がある。小学校の身体検査の時にこれをおこなえば最も適当である。この検査法はきわめて簡易である。
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文献
- 石原忍、1940[1921]、『学校用色盲検査表』第14版、半田屋出版部。
- 石原忍、1942、『日本人の眼』、畝傍書房。
- 須田經宇、1984、『石原忍の生涯』、講談社学術文庫。
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