以下は現代史の資料として紹介・コメントするものです。
小説「名もなき道を」。--以後の紹介には私からのコメントが含まれている。また、趣旨からしてやむをえないが同作の筋書きの根本が紹介されている。読んでから判断したいと思う方はご注意を。
また、この小説に関しては実在のモデルがあるらしく、事実関係をめぐって争いも起こったらしい。しかし、私のコメントは、いかにその「現実的」な社会的効果について考察するものであるとしても、この作品をあくまで「フィクション」として読んだうえでのものである。その点をお断りしていえば−−
私の読後感は、気がかり、であった。色覚検査批判が問題の先送りという問題として処理されている。問題の深刻さを描こうとする余り、色覚問題の当事者が人格破綻者として描かれている。今日、その日常意識に当事者がさらされていないだろうか。
1988(昭和63)年度の柴田錬三郎賞受賞作品。
「戦中戦後を流されないで生きた一人の男の生涯」(講談社文庫版カバー)。「時代の精神史を活写」(同版における珍舜臣の解説)。「輝ける落伍者の生涯」「司法試験20回不合格の記録をつくった奇行・反骨の男の真実」(講談社ハードカバー版帯)。
まぁ、そういうふうに読むこともできるかもしれない。
しかし、「色盲」の問題に触れずにこの作品を論じるのは、いわゆる部落差別問題に触れずに『破戒』を論じるようなものであろう。この作品の読解のカギとなるのは色覚の問題であり、それ抜きには鑑賞不可能なのである。
実際、モデルになった当事者から、その点に関して、家族関係や肉親の遺伝的要因などプライバシーが侵害され、しかも虚構が描かれている、として訴えられたという(注1)。和解が成立したそうだが、2014年9月現在、amazonで探しても古本しか見つからない。
私はその訴えや作品の成立事情について、何も知識を持っていない。作者についても何も知らない。同じ作者の他の作品を読んだこともない。以下は、その限りでの読後感である。
この作品の主人公は、田舎の名士で病院長、の跡取り息子。
カバーの文句によれば、本作品は、彼が「無器用に人から非難され奇行の限りを尽しながら、なぜか人の心に大きなものを残した男の青春」(講談社文庫版カバー)の物語だという。
その「無器用」「奇行」とは、親交と絶交の繰り返しに他ならない。ほとんど同じパターンの繰り返しだ。淀みにはまった葉っぱがなかなかそこから抜け出せないように、ぐるぐると回り続けたあげくに破綻を迎える。
私には何も「心に大きなもの」は残らなかった。残ったのは、謎と答えに関する気がかりである。
主人公の男は、どこか言いようのない淋しさを人に感じさせる雰囲気をたたえており、誰かのところにやってきては、つきあったりからんだりしないではいられない。関わりを強く求め、ときには率先し、人を先導・扇動しさえする。
しかし、胸襟を開いて話し合うわけではないし、男女関係なら思いを告白して恋人になろうとするわけでもない。むしろ、強烈に接近してきては、ふとそこでそれ以上の(あるいは安定した、持続的な)関係になることから引き、衝突を起こし、その原因を相手のせいにし、絶交を言い渡して去ってゆく。
まぁ、一般にも、自尊心に欠ける場合とか劣等感がある場合などには、人と関わりたくても関われない、関わっていこうとするのだけれど関わるのが苦手といったことになるものであろう。私にもそのようなところがある。理解しがたいことではないと思う。
類推して同情的に読めば、主人公は、嫌われる自分、拒絶される自分を実演・再演することにより、どこにも居場所がない自分、誰にも受け容れてもらえない自分を、皆に訴えているかのようでさえある。
しかし、それがあまりに強烈なことになると、身近な人々(友達や恋人)がつきあってゆくには心的負担が余りにも大きいことになるだろう。奇矯な行動と見えることにもなる。「なんだったんだあれは」という謎を、彼は残してゆくのである。
その「破滅的に生きる教え子の謎を四高時代の恩師が突き止める!」(講談社文庫版カバー)というのが、話の形式である。
その舞台となる場ないし状況は、戦時中の勤労動員、戦後の学園民主化闘争、大学でのイールズ事件など。それらの場や状況は、確かに「時代の精神史」を表現しているだろう。
しかし、それが主人公の歩んだ思想の歩みとか精神の履歴として描かれているわけではない。
描かれるのはただ、それらの場や状況において、関わりを持ったと思えば奇妙な屁理屈で衝突を起こしては去ってゆき、そのあと、定職にもつかず、父親の病院を継いだ妹婿の世話になりながら、本気でとりくむわけでもない司法試験に20回も落ち続けたあげく、短い人生を終える、といった行動だけ。
つまり、直に描かれているのは主人公の否定的・破壊的・破滅的な言動とそれが周囲の人々に与えた印象ばかりであって、その内面史はむしろ読書を導く謎とされているのである。
その謎解きのカギが、色覚なのであった。
小説の技巧を論じるほど私は文学通ではないが、物語の構成には感心した面もある。
主人公は旧制高校を卒業した世代。その死後、主人公の恩師が、主人公の同級生や関係者を訪ね歩いて、少しずつ主人公の死の原因を解き明かしてゆく。この恩師が、狂言回しとしていろいろな場や状況を間接的に見聞(再現)し、また、いわば名探偵役として読者の推理を先導する役割を与えられているわけである。
私は後の映画『北のカナリアたち』(2012年)を思い出した。最初は断片しか与えられていないくだんの人物が、他の断片を知る人を歴訪するうちに思いもよらぬ全体像になってゆく、という展開は、古典的名画『市民ケーン』(1941年)を思い出させもする。
本作の場合、そうやっていくうちに、最初は読者にもその恩師にも知られていなかった色覚の問題が浮かび上がってくる。主人公は、こどものころ、友人宅に置いてあった色盲検査表を見てしまい、皆には読めるその表が自分には読めないことを悟ってしまったのだ。
当時のこと、だとしたら家業である医業の道に進むことはできない。
そうして見直してみると、当の恩師が主人公に善意からかけた言葉、または身近な周囲が善意からしたこと、あるいは断片しか知らないために理解できずにしたことが、主人公にとってはどうしようもない否定、打撃的な拒絶として響いたであろうことが、わかってくる。
いわば、「誰が彼を殺したのか Who killed cock robin」という問題に対して、関係者がみな加害責任を分有していることがわかってくる(マザーグースの歌「Who killed cock robin」は、「誰がコマドリを殺したの?」という問いに対して、スズメやカブトムシやフクロウなどが次々に「私が殺した」と名乗り出るというもの。推理小説に応用されることが多い)。
それを特に知らされるのは、当の恩師である。
狂言回し、主人公の理解者、謎を解く名探偵が、主犯になってしまうのだ。読み替えれば、その無自覚が暴露されてゆく物語でもある。
推理小説としてその手がアリなのかどうかは知らないが、教師という立場からして、これは痛いことだろう。つまり、自分が善意でかけている声が、生徒の人生の脈絡においては打撃であるかもしれない。この読み切れない責任の重さを背負う覚悟なしに教職はつとまるのか。まして、それが進路指導である場合。
――重い問いかけであろう。だから、主人公の死の原因がわかった時が、その恩師の最期の時となる。それが作品の冒頭場面への回帰ともなっている。
しかし、色覚の話題についてはいくつか重要な気がかりも残る。
確かに、色覚差別の罪の重さや、その烙印が個人および家族にとってどれほどの打撃となったかをうかがい知るには、よい作品かもしれない。しかし−−
1)主人公に謎が多すぎ、その謎解きの負荷が色覚にかかりすぎていて、かえって色覚少数者を「異常心理系」の人物に仕立て上げてしまっていないだろうか。
当人はただつぶされてゆくばかりで、何の自己分析もできなければ説明もできない。ただ奇矯な行動と、そこから逃げ帰っては自分の殻に閉じこもることでしか、自分を表現することができない。そうやってSOSを発信するしかできない。
先述したように、追い詰められたときのことを想像すれば、大なり小なり自分にもあてはまるところがある。こう書いてみれば、一般にも、理解を絶したことではないだろう。しかし、それが「謎」というところまで誇張されるなら、ここに断絶が設定されることになる。
2)加えて、主人公の所属階層の問題があるだろう。
主人公の「落伍」に対して、周囲のエリートたちが、彼の死後にその原因をあれこれ「理性的に」詮索するという図は、あまり快いものではない。
そのエリートというのも尋常ではない。旧制高校が舞台となる話のこと、教師や医師は言うに及ばず、旧帝大出の文部官僚、エリートビジネスマン、片手間の勉強で司法試験に合格してしまう自称最高裁長官志望者、そして世界レベルの大学教授。
こうしたスーパーエリートたちと「落伍者」とのあいだには余りにも大きな格差がある。
もっとも、この場合、主人公はもともとそれらの選りすぐりたちと同級・同格だったわけで、それと同じくらいスーパーエリートになりうる候補生だったことになる。色覚問題がこのように権力や権威の中枢に及びうることを、この設定は暗示するものであるかもしれない。
だが逆に、「落伍」といっても、そのような世界におけるそれである。司法試験に20回も落第したといっても、言い換えれば、それができるほどけっこうなご身分だったということになる。
主人公における権威・権力に対する抵抗とか「反骨」といっても、実は高い地位に対する強烈な執着がそこに隠されているのではないか。すなわち、そこにいられたはずなのに、自分の特性はそれにふさわしくない。といって他の居場所をさがすことはできないでいるのである。
これみよがしに司法試験に落第しつづけることで「本来ならそこにいることができるはずなのにそれを拒まれている不幸な私」を表現しているとしたら、いかにも甘えた話だ。たいていの人にとって、そんなことをしている余裕はあるまい。
3)このように「共感しづらい」わけだが、それにもかかわらず、一般の人々が色覚少数者と結びつけがちな理屈が、ここに隠し絵として提供されているように思われる。
自覚と自己管理の失敗、というレッテルである。
「色覚検査があったばかりに進路が制限されて・・・」といった異議申し立ては、決まって、「自分の特性にふさわしい道をさがせばよいではないか」「検査がなければどんな栄達が待ち受けていたというのだ」「犠牲となったという能力とか才能がどれほどのものか、見せてみろ」といった言説によって、封印されがちだった。
まして、パイロットとか医者とか鉄道員のような道を色覚ゆえに断念せざるをえないとしても、こどもの頃に見がちな夢にしがみついているだけじゃないのか、と。
つまり、自覚と自己管理に失敗しておきながら、社会に何かを申し立てたり要求しようなんて甘えている、自覚的努力で地位を達成した人をうらやんでいるだけではないか、というわけである。それが戯画的に強調(デフォルメ)されているように思われる。(もっとも、家業継承という当時としてみれば強制に近い強い規範があった点は、考慮に入れてよいだろう)。
4)こうして、問題が、当事者における問題の先送りという問題として、処理されている。
当人が自分に与えられた問題を自覚し、それに立ち向かい、それと闘おうとする姿勢はまったく描かれない。他の問題については難癖とも思えるほど直情径行な言動でかかわってゆく主人公なのに、社会問題としての色覚差別にだけは全く無反応なのである。
主人公はこどもの頃に友人宅に色盲検査表が置いてあったのをたまたま見てしまった。それで彼はこども社会の中での「劣者」となってしまった。
ある登場人物はこども時代を述懐して言う。「なんというのか、劣者は劣者として本人に認識させる。子供の社会には、そんな冷酷なところがありますが、まさにそれなんです。少々屁理屈じみますが、助けないのが愛情というのか」。
こうして罪は、「子供の社会」の「冷酷」な「愛情」が発揮されなかったこと、それゆえ当人が分を悟ることがなかったことに、かぶされてゆく。
学校での健診とか進路指導の場面が正面に出ていれば、その場面で主人公がどんな言動をとるのか、それを功成り名遂げた登場人物たちがどのように述懐して評価するのか、描かざるを得なかったはずだ。制度の問題が浮上したはずだ。
もっとも、舞台設定は学校保健法以前の話だから、歴史的事実として必ずしも検査がおこなわれていなかったのであろう。
しかし、だとしたら、作品が発表された1980年代の日本での問題構成とは大きく違うことになる。つまり、全児童に対する検査によって色覚特性の現実がただこどもにつきつけられているばかりの時代にあって、たまたま検査表を盗み見て発覚した特性がただ当人の秘密の負性として沈潜してゆくといった筋立ては、かなり時代錯誤的な問題設定ではないだろうか。
歴史小説だと読まれるべきものが、歴史としての処理を受けていないまま、現代的読解を求めている、とでも言い直せようか。
5)重要なのは、その時代錯誤によって、色覚検査や選別がむしろ是認されるべきものとして含意されることになる、という点だ。問題の社会性が追求されることのないままに、個人的特性としての問題と真向かいにならなかったから行き場がなくなってしまったのだ、と読むことができるのである。
ある登場人物も言う。「その時その時を、いい加減にすましていたわけではないのですが。……こう、全力を傾けて、彼の問題にあたるのを、いつも先にのばしてしまっていたんではないか。……勿論、申し上げたようにその時点では真剣だったのです」。
言い換えれば、「その時その時」には「真剣」なつもりでも、重要な事実が公的には隠されたままだったので本人がそれに立ち向かうことができず、周囲も理解ができず、結果的に「いつも先にのばして」しまう結果になったと。
次の一節も、そう暗示しているかのようである。
【引用】
「校庭に青桐が植えてありますね」
「はあ」
そういえば、昔は大抵の小学校の校庭に青桐があったことを、吉松は思い出した。
「青桐の実が落ちますでしょう」
「ええ」
「それを生徒が食うんです」
「え」
吉松は驚いた。
「下痢をします」
下痢をするかどうか吉松は知らなかった。……[略]……
「ふむ」
吉松はなんといって良いのか、言葉のつぎ穂がない感じがした。
「先生たちにしたら、学校で生徒が食べたもので下痢をされたのでは困ります」
「それは、まあ、そうでしょうな」
「で、先生たちはどうするかです」
若槻はじっと吉松の顔を見た。返事を待っているのである。……[略]……
「そうですね……教えるしかない……私はそう思いますが、月並みすぎますか」
……[略]……
「私もそう考えます。ですが、今の先生たちは違うんです」
「違うって、なにか他に良い方法でもあるんですか」
「原因を断ちますな」
「原因……?」
吉松には若槻のいう意味が理解出来なかった。
「青桐を切り倒すんです」
「え」
息を呑んだまま、吉松には二の句がつげなかった。
アオギリの実を食べる習慣があったのかどうか、食べたら本当に下痢をするのかどうか、人の身体の特性の問題にこのいわば毒の喩えはいくらなんでもひどすぎないか、といった点はさておくとして、ここで問題とされているのは、教育現場の事なかれ主義である。
すなわち、こどもが怪我をするのを恐れて腕白な遊びを禁じてしまうような、それも本当は自分が責任を負いたくないだけなのに、その態度を子どもの安全のため等というレトリックで隠蔽している、そういった教育現場における事なかれ主義。
明言されていないものの、もちろん、これは色覚検査批判を暗示しているであろう。つまり、子どもを傷つけるな、差別してはならない、豊かな可能性のために、等々という触れ込みでなされる色覚検査批判も、その実は教師たちが責任逃れをしようとしているだけだ、と。
これは團伊玖磨の「微温湯」論と瓜二つの論理構造である(1994年執筆の「微温湯」、1999年発行『パイプのけむり』第23巻所収)。すなわち、検査批判とは要するに問題の先送りにすぎない、むしろ教育においてはこどもに手痛い経験をさせてやり、分を悟らせてやるべきなのだ、と。
社会改革というビジョンに欠けた姿勢が典型的に陥る論理構造だと私は思う。
6)色覚特性に対する誤った観念が無批判に繰り返されている。つまり、劣性遺伝とは「母親から持ち込まれる」という短絡。
もちろん、登場人物たちの時代にはそう信じられていたのだと、弁護できなくはないかもしれない。しかし、それが推理の手がかりとなり、主人公の行動を説明することのできる原因として登場人物たちの口から解説されるとなれば、懐疑をさしはさむことのできない事実としての性質を帯びる。
もちろん、正しい知識が十分に普及している社会なら、その問題性が浮かび上がりもするだろう。
たとえば、地震を大まじめにナマズのせいにしている人々が登場する時代を舞台とした歴史小説があったとしても、今日の読者は、「当時の歴史」に身を置いて読解しうるだろうし、「作者はそれを誤りだと知ったうえで書いており、読者もまたそれを理解しうると期待している」と想像することが容易にできよう。つまり、作中の前提と距離をとることができるのだ。
しかし、色覚と遺伝に関する知識はそれにあたるだろうか。
厳しく言えば、作者が、作中に登場する人物たちと同水準なのではないか、ということである。
こうして、この作品は、問題の社会性に触れることのないまま、色覚の話題を、当人が自分の特性と真向かいになることができなかったことが人格破綻を招いた、という意味での個人的悲劇として描き出している。
私の気がかりというのは、次のようになろうか。
すなわち、作品のあらすじがそれであるなら、事実上、色覚検査を「自覚の機会」として是認する権威当局の論理を上塗りしていること、それゆえ、色覚検査批判は学校保健法以前的段階への逆戻りだと含意されることである。
そしてそれが実は、今日における日常的な推論パターンになってしまってはいないだろうか。
つまり、この作品は日常意識で書かれているだけに、検査と選別が公的にはおこなわれなくなった今日の日常意識をも、期せずして言い当ててしまっているのではないか。
具体的に言えば、かつての検査体制に関する批判の意義(批判されるべき理由があったこと)が何一つふまえられないまま、検査批判が色覚問題の隠蔽としてのみ総括され、さらに、残された課題について考え、いっそうの社会改革を促そうというよりも、やはり検査を実施することが本人のためだといった素朴な主張がいつでも現れうる状況が伏在していないだろうか。そういう状況と、この作品はきわめて親和的だ、ということである。
しかも、理解しがたい特殊な人格形成を遂げた者、人格に破綻をきたした者として描き出す当事者観と、それが結びついている。
そうやって問題を「当人の自覚」の話にし当事者をむち打つ前世紀の論理構造の中に、当事者がいま投げ出されてしまっていないだろうか。
それが気がかりとして残ったのである。