小口忠太の墓は出身地である長野県上田市の大輪寺にあり、弟子たちがそのそばに思い出の碑を建立している。小口の名は色盲検査の歴史のうえでもしばしば登場するが、この碑のなかにその記載はない。
2010年秋に訪ねることができた。全文は次のとおり(●は判読できない文字)。
小口忠太先生は明治八年一月信州上田に生れその生涯を眼科学の進歩に捧げらる十八才独学にて医術開業試験に及第後軍医に徴せられ又済生学舎講師南満医学堂教授愛知医科大学教授及学長名古屋帝国大学教授を歴任その間欧州各国に遊ぶ事数次先生性寡黙専ら研究を事とせられその成果挙げて数●可からず就中小口氏病の発見は世界的業績にして学士院賞を授与せられしが不幸戦災を蒙り愛知県西加茂郡名野村に疎開中昭和二十年七月病を得て俄に逝去せらる 享年七十有一
文中、「小口病」とは先天停止性夜盲のこと。1905年の発見で、世界的に小口の名を冠して知られる。
「学士院賞」は、正確には1933年の「大阪毎日新聞東京日日新聞寄附東宮御成婚記念賞」らしい。昭和天皇の成婚を記念して作られた賞である。1944年にはこれと帝国学士院賞が合併している(『ちょっと名大史51』)。