*再編ののち同趣旨の内容が拙著に収められています。
*再編ののち同趣旨の内容が拙著に収められています。
問題が潜在化するから色覚検査を再開すべきだという主張がある。しかし、かつての検査体制に関する反省に欠けるなら、その主張には道理がない。
検査が必要だという当事者の意見も、確かにある。しかしそれは、検査の趣旨や目的、つまり本末なり天地を問うたうえでの意見だ。
誰のための、何のための検査なのか。それが問い質される時代に入っている。じつは過去にもそれを問う議論はたくさんあった。その一端を紹介する。
私たちは、半世紀近くにわたって全児童に色覚検査を施しながら、公的な表示などにおける色づかいに関して人々の福利を考えた工夫という発想が全くといってよいほど欠如していた社会に住んでいた。
その状況で、特定の進路を避けるべく当人に自覚させることばかりが「当事者の利益」だとされていた。
このことから、かつての色覚検査は二つの評価可能性をはらむことになる。
ひとつは、一斉検査はやはり正当性に欠けていたという評価だ。
かつて学校でおこなわれていた検査では、身長や体重を測るのと同じ流れ作業で検査がなされ、診断名が告知され、あとは進学や就職の制限について聞かされるだけであった。
私の場合、小学校低学年の頃にはもう、自分は教育・美術・医学・工学などに進学できないのだと知っていた。他面、教育上の配慮を受けた記憶はない。
といっても、自分にどういう配慮が必要なのかを私は知らなかった。「私は私の場合を知らない」、つまり、私にどんな対象がどう見えがちなのか、何も説明されなかったからである。
いや、それ以前に、自分が人として配慮に値する存在だと教えられたことがなかった。むしろ、二言目にくるのは必ず「仕方ない」だったのである。
高柳泰世の『つくられた障害「色盲」』(1996年、朝日新聞社)によれば、検査してもこのように「事後の対処はなにもしない」のであれば、理念上はいかなる趣旨をうたっていようとも、事実上は「いたずらに色覚異常者の検出のみを目的」としているのも同然である(24頁)。これは医療倫理違反だ、廃止すべきだ、との訴えが、ここから出てくる。
こうした観点からすれば、確かに、私たちには「知らないでいる権利」「知らされない権利」がある、と言える。
しかもこれは、社会作りの根本哲学に触れる問題だ。
「あなたの味覚はちょっとおかしい」とか「嗅覚に弱点がある」などという「情報」を、「レベル1」とか「タイプ3」のように知らされるとしたら? それはいったいどんな社会だろうか。
言えば言えるかもしれない。「だから調理の道は避けたほうがよい」とか「ガソリンスタンドで働くと重大な過誤をおかすかもしれない」とかとか、と。
しかし、端的に言って、それは本末が転倒した論理というべきであろう。世の中には様々な味覚の人があるということを想定した調理人がいたっていいだろう。ガソリンスタンドには、どんな特性を持った人がそこで働いたりそこを利用しようと、危険が生じた場合には容易に察知しうる工夫やすぐに大事故には至らない工夫を施すべきだろう。
それが人間本意の社会というものである。
しかし他方、必ずしもそうした社会が実現しておらず、警報のように生死にかかわる配色についてさえ世間は無頓着だったという現実がある。今後も色とりどりのデザインが増えれば当事者に不利な状況が増えてゆくだろう。
そのことから、カラーユニバーサルデザインにとりくんでいる色覚少数者の伊賀公一は、その著『色弱が世界を変える』(2011年、太田出版)において、こう述べている。
「現在の世の中はまだ、色弱者のための配慮が充分にできていない状況ですから、色の見分けができないために危険な目に遭うことだってあり得ます……[略]……配慮した世界を作るために必要であれば、検査を受ける権利がある」。パイロットのように厳しい制限がある分野もあるなら、あらかじめ承知しておく必要もあろう。つまり「検査とは「その人がひどい目に遭わないために受ける」のが基本だと私は思っています」(61-63頁)。
このことから、当事者が不利益を被らないために「知る権利」がある、とも言える。
ただし、この意見の特徴は、社会環境の改善という大前提を据えている点、また、従来の正当化の論理をひっくりかえして、当事者の利益を大目標に据えている点だ(利益といっても特権を要求しているわけではない。ただ、人として尊重されるべきことである)。
そのうえで、社会の現状の中では種々の事情でそれが至らぬ点もあるから、また、その改革を促す意味でも、検査を受ける権利がある場合がある、というわけである。
だから、この両者を、検査はしないほうがよいのか、それとも再開か、つまり検査の「有無」と単純に対応させるのはまちがいである。
両者は当事者本意という点では共通しており、その観点から、従来の検査を批判する論理になりうるからである。
ここから浮上する問題は、検査の有無ではなく、その「天地」、つまり趣旨と方法ではないだろうか。
検査そのものはあって当然だ、というのではない。何のための、誰のための検査なのか、その趣旨と実態を問い質されない検査などあってはならないという意味である。
その本末を入れ替えるために、かつての検査体制を反省する必要がある。
歴史の反省に欠けたまま、検査「そのもの」は当事者の福利だといった主張を十年一日のごとくに繰り返すことは、今日、決して許されるものではない。
検査の科学性を疑う議論と見なされることが多いので断っておきたいが、これは検査そのものの手法、技術、判断基準などに関する眼科学的議論ではない。検査の社会的運用についての議論である。眼科医が議論を独占すべき話ではない。
学校保健法にもとづく、かつての一斉検査に対しては、あらく整頓するなら、次のような問題が指摘されていた。
@衆人環視状況のなかで遺伝情報の読解に等しい検査がなされていた。
A趣旨の説明がなかったし、事後にケアや助言もなされていなかった。
B教員の認識や知識が足りず、教育上の配慮にもつながっていなかった。
C色覚検査表では篩い分けはできても精密な診断とは言えない。結果として疑わしいものを広く拾いすぎており、それがそのままになっていた。
D医学的検査の結果がただちに進路や職業の上の適性を示すとも言えない。しかし、世間では検査結果を過大に受け止めた制限が多すぎた。
E社会環境を変えようという発想を欠落させたまま幼少期から進路制限を言い渡すばかりでは、いかにも理不尽である。
この整理は、村上元彦の『どうしてものが見えるのか』(1995年、岩波書店)や彼がその顧問を務めたこともある「日本色覚差別撤廃の会」の主張を参考にしたものだ。
しかし、これらは、色覚検査撤廃の主張にだけ見られる特殊な論点ではない。学校での一斉検査や進路指導については眼科学の内部でも長年にわたって議論がなされてきたところであり、その問題点の認識については、検査の必要性を訴える研究者、ことに深見嘉一郎の諸著作においても、少なくとも個別的には一致点をいくつも見いだすことができる(太田 1979; 深見 1973; 1981; 1982; 1992; 1994a; 1994b; 1995)。異なっていたのは、検査の撤廃か存続か、の判断である。
これらの議論の根本にある疑問は、端的に言ってただ一点、次のように要約することができるだろう。すなわち、ただ「不適格者」をあぶりだして排除する結果になっていなかったか、検査は、そして医学とはそもそも、そんなものなのか。私たちの教育は、職場は、社会は、それでいいのか、と。
検査の廃止を求める主張に対しては、眼科医の世界から、色覚異常の問題点は当人が自覚できない点にある、検査は自覚の機会を提供するものだ、という反駁が多くあった(市川 1995など)。医学上の理念としては正しいかもしれない。しかし、過去の検査体制の社会的実態の評価としては−−そして議題はそれである−−どうみても半面未満の真理と言うべきであろう。
楠本久美子らの報告「色覚異常者の色覚実態調査研究――学校における色覚検査・保健指導のあり方についての検討」(1996年)によれば、学校での検査結果から紹介された専門医で精密検査を受けても「ハイ、分リマシタ。異常デス。といわれても私にとっては、どう他の人と違うのか?この異常はなぜ起るのか?今後どうなっていくのか?など返って不安になっただけで帰された」といった事例もあった(楠本 1996: 268頁)。
これでは、「自覚」を求められても、どんな場面でどんな注意をしたらよいのか、わからない。自覚のある当事者が自分流の観察法を編み出したりしているのは自分の創意工夫でそうしてきたのであって、その過程は放置されていたに等しい。
検査の必要を強調する専門家、たとえば馬嶋昭生も、検査廃止論が訴えている問題の内実は「検査と事後の措置が正しく行われていない」こと、つまりその社会的運用だと、認めていた(馬嶋 1997: 9頁)。
もっとも、だからそれは検査そのものの擁護でもあった。検査は正しいねらいをもっているのだから、世間に多く見られる誤解や誤用について正さなくてはならないという主張は、これまた眼科学の内部で長らく繰り返し強調されてきておりながら、なかなか実効をあげなかったものである。
しかし、専門家が色覚検査の厳正な実行を訴えていれば、世間が敏感に(過剰に)反応したとしても無理はないところがあったろう。論理矛盾とまではゆかなくとも、やはり、かつての検査体制が世間の過剰反応を生じさせていた、それを正す努力が力及ばなかったと、反省すべきではないか。
しかも、状況はかつてより悪くなっている公算がある。
@電子技術により色を使うことがますます容易になっており、無頓着な配色が増えている。
Aそれにもかかわらず「当事者に優しい」といった言説だけが一人歩きしている。かつてのような進路指導はもはやおこなわれていないし、職業制限の多くも撤廃されたため、「社会はもう十分に優しくしている」という含意が広がっている。
B今後なされる検査は、それでも支障が生じうる「重度のケースを拾うためのもの」といった誤解を広める危険がある。かつての検査は「問題のない軽度の人を排除していたから問題だったのだ」といった単純化された誤解を広める危険がある。
C検査の再開は、「もはや社会的対応の限界なのだ」「制限されてもやむをえないケースを前もって拾うためのものなのだ」といった誤解を広める危険がある。
D社会の現状に投げ出されている当事者から出される「もっと早く知っておきたかった」という声が政治利用されるおそれがある。
今日、検査の必要を主張するのであれば、旧に倍する社会的対策が必要であるはずである。啓蒙活動、多様性の尊重という哲学の確立、それに見合ったケアや支援の体制づくり、そして社会改革の訴えなど。
もっと言えば、医学の社会的な役割は何なのかを問い質さなくてはならないはずなのである。
検査がなかったら教育上の配慮ができない、という意見も多かったし、今もある。
確かに、堂腰律子らの報告、「色覚異常に関する小中学校教諭を対象とした意識調査」(1998年)によれば、検査結果を受けて配慮をおこなった経験がある教師も相当数いたと想像することはできる。しかし、同じ調査研究では、無認識な回答も見られた(堂腰・笹嶋・芝木 1998: 465頁,470頁)。
田辺功の『医療の周辺その周辺』(1996年、ライフ企画)によれば、ある高校教師の投稿は率直に認めていた。「もし、色覚検査がなくなったら教師は誰が色覚異常の生徒か分からなくなり、全く配慮ができなくなって、白地図の色塗りを間違えた生徒を「ふざけている」と叱ってしまうかもしれません(ただ、現在色覚検査をしていても、教師の多くはその実態を知らず、配慮足らずで多くの生徒を傷つけていると思います)」(255頁)。
対応しようにも、長澤和弘らの「小・中学校教諭を対象とした色覚異常に関する意識調査 第2報 色覚異常の把握および生徒への指導について」(1994年)によれば、たとえば「色チョーク使用上の留意点が未だ常識化していない」(長澤・島・安達・安達 1994b: 446頁)。
(今日、色づかいどころか、大勢としては、とても判読できないほど小さな文字のパワーポイントスライドなどさえ、なかなか改められていない。これにカラーユニバーサルデザインを施したり、それ対応のレーザーポインターを使ったりしても、意味があるまい。こんなところから議論しなければならいことが、もうそれだけで問題であろう)。
善意のつもりの「励まし」や、遺伝や適性に関するわかりやすい説明に持ち出しがちな「極端なたとえ」が、誤った通念を露呈している場合もあった(住田 1996; 1998)。結婚が問題だとされていた、その枠内で、相手を選べば大丈夫、と声をかけて励ましたつもりになっていたり、スポーツのユニフォームのようにチーム競技ではそもそも大きくはっきりと色分けや模様によって区別できるよう規定されているものについて、これが見えなかったら大変だ、と説明したり。
つまり、正岡さちらの「学校現場における色覚異常児への対応のための基礎的研究」(2012年)が言うように「色覚検査が実施されていた当時の意識調査でさえ、色覚に関する教員の意識低下や、知識不足が報告されて」いたのである。検査をやめたらせっかくの配慮が失われてしまうというよりも、「ますます意識・知識の低下が推測される」(正岡・井上 2012: 61-62頁)と言うべきであろう。
もちろん、だとしたら、これは対処しなければならない事態である。手引きを配布したが、それが誤った通念を上塗りしたり(住田 1996)、それすら浸透しなかったり(長澤・島・安達・安達 1994b: 446頁)、といった結果を、繰り返してはなるまい。
問題は、いかにしてどんな配慮を実現するかということである。
大学の教職課程にはもちろん関係項目を入れるべきであろう。現役教師に対しても、色覚に限らず「自他の生命、人権を尊重する立場」から(楠本 1996: 268頁、下線強調は私)、多様性について学ぶ機会が提供されるべきであろう。職員室の構成それ自体、もっと多様性に富んだものに変えるべきであろう。
当事者に対しても、ただ「自覚」を迫るだけといった無責任な対応を繰り返すばかりではなく、これまで当事者がつくりあげてきた総合的な観察法などに学んだ表現・伝達方法を整備し、支援プログラムを構想するといった発想があってもいいはずだ。
過去の歴史の教訓を学び、こういった対策を強力に促進することなく、検査をやめたから「トラブル」が生じたかのように言い、検査再開が配慮にとっての必要条件であるかのように主張するのは、認識に欠けた短絡・楽観にすぎないのである。
もちろん、こうしたことを前提したうえで言えば(繰り返すがその前提の上で)、伊賀が主張するように、従来の一斉検査が理不尽だったからといって、自分の身体に関するインフォーメーションの機会がいっさい無くなってしまうのもまた、当事者にとって理不尽な話だろう。
特別に「良い色覚」を必要とする「特殊な職業」の場合、色覚検査が必要だということは高柳も認めている(高柳 1996: 23頁)。
「自他の生命、人権を尊重する立場」という前提のうえでなら(しつこく繰り返すがその前提のうえで)、教師や親が正しい配慮をおこなうためには、就学時にざっと調べる検査が必要だという考えも成り立とう。学年が進んだ時にもう少し詳しく調べて、進路にかかわりそうなら眼科医を紹介する機会があってもしかるべきであろう。
こうしたことから、眼科における診療については、代替案も出されてきていた。たとえば、小児の色覚外来を担当してきた原田清は、『眼科オピニオン 色覚異常』(増田・深見 1998)において、次のような原則を提案していた(原田 1998: 214-217頁)。
1)誤解の多い「色盲」・「色弱」の用語を用いない。
2)社会的な判定を目的とした色覚検査をおこなわない。クライエントに必要なのは病名や制限の告知ではなく「生きていくうえでの具体的な指示や指導」である。
3)将来への希望を失わせない。検査結果を正しく伝えるとともに、検査結果がすべてを決めるわけではないことを教え、「できない、してはならない」といった心理的な傷害を与える表現は避け、志望状況に応じた可能性を探究し、支援する。
4)医学的常識の解説に終始するのではなく、生活の中で遭遇した問題に即したフォローをおこなう。
色覚差別を撤廃する運動を展開した永田凱彦もまた同『眼科オピニオン 色覚異常』内の「色覚異常者からの提言」で、「診療はいわば異常者のためのコンサルタントであるべき」と述べている(永田 1998: 41頁)。
学校での検査もこういった趣旨や方法にならうべきことになろう。しかし、ここにもう一つ、学校での検査でケアや支援的相談が「可能なのか」という問題が浮上する。
問題点のうち、プライバシー確保は、方法や手順を変えれば改善されるかもしれない。引き継ぎをしっかりすれば検査を無意味に繰り返す必要もなくなろう(馬嶋 1993: 13-14頁)。しかし、説明やケアや相談には困難が予想される。
だとすれば、やはり学校ではざっと篩い分ける検査だけをおこない、心配されるケースを眼科にまわす、という古くからある案が再浮上してこよう。
すると懸念材料となるのは、
1)学校での篩い分け検査を旧弊の再現にしない対策はあるか
2)地域ごとの眼科に精密検査やケアの準備があるか
3)それと教育上の配慮・指導のあいだに連携はあるか
であろう。
第一点、根本的には多様性の尊重という基本哲学がなければ、プライバシーの尊重という言葉じたいが、負の烙印を含意してしまうだろう。別室での検査がかえって「他人に知れてはまずいものを自分は持っているような罪悪感」を当事者に与えてしまう(楠本他 1996: 268頁)という弊害も生みうるのである。
今日の「説明と同意」の手続きが、事実上の強制と自己責任の論理を生み出さないか、検討する余地もある。
(本来、説明と同意は、検査の天地を問い質すべきものだろう。単にリスクと検査の必要性を説明するばかりではなく、検査を受けた場合のメリット、つまり、いかなる合理的配慮がありうるのかも説明すべきなのではなかろうか。たとえば視力検査にだって本来ならそれが必要であるはずだろう。あとは自分で気をつけておきなさい、ではなくて)。
第二点は1970年代における札幌における試行例から(青木・田中・時田 1976)、第三点は1990年代における小中学校教諭に対する質問紙調査から(長澤・島・安達・安達 1994a: 306頁)、すでに浮かび上がってきていた課題であった。
眼科に関して、橘俟子によれば、多くの眼科において色覚異常への対応は日陰の位置にあるのが通例であった。投薬や治療につながるわけではないからである。
今日、検査それ自体は以前よりも容易かも知れない。しかし、今はもう、診断名を言い渡しておしまいでは済まされないのである。相談の責任が重くなるのであれば、それを支える医療制度が模索されねばならないだろう。テレビの健康番組は「不安があれば迷わず病院へ」と勧めるが実際に病院へ行ったら「コンビニ受診するな」と言われる今日である、「相談」にじっくりつきあってくれる医師にめぐりあうのは難しいに違いない。なにより、医学に限らぬ進路相談などは、お門違いかも知れない。
眼科にそれほど期待することができない、そもそも無理があるとなれば、「ぱすてる」のような、問題について考え、当事者を支える市民活動にも意義が認められてくる(橘 1998: 224-225頁)。
総じて、第一に、多様性の尊重という基本哲学を確立することが大前提となろう。すべての人は人として尊重されなければならない。特定の特性をもっているから「仕方ない」ではいけない。ミスターノーマルしか許容しない社会のほうがアブノーマルなのだ、問い質されるべきなのは人ではなくそんな社会のほうだ、と。
そのうえで(念には念を入れて、その前提の上で)、第二に、日常生活と医療の中間に、放置でも無力化でも無問題化でもない、当事者本意の姿勢で「可能な限り想像力をふくらませ、遠く将来を見通す」(中村 2014: 85頁)ケアやカウンセリングを旨とする役割(ないし職種や組織)が必要なのではないか。
上述の諸種の提言はその方向にむかって収斂しつつあったように見える。
さらにそのうえに、学校と専門家ばかりではない、市民的立場の第三者の必要が説かれていたことは、特に示唆的であろう。ただし、特定の団体やNPOだけがものを考えているというふうではやはり当事者の社会的孤立という事情に変化がないわけであるから、その活動を通して世間一般にもっと多様性の尊重という考えが広がなければならないのである。
第三に、相談における積極的姿勢をただの心配りではない実効あるものとし、検査結果を烙印にしないためには、社会の側に、バリアを取り除こうとする継続的な努力が必要となろう。実際、それによって支障の大多数は解消されるのだから。
これだけの議論があったのに、いままた検査してただ結果を言い渡すことを「当事者の利益」等と主張するのは、当事者に不利益をもたらす問題や課題の公共性を無視した、無責任な態度と言わなければならない。
最後に、日本は障害者権利条約の批准国であることを、想起しておこう。お題目ではない。いろいろな場面で、可能な限りの合理的な配慮が具体的に求められることになるのである。
色覚異常はいわゆる障害ではない。しかし、障害者の権利が含意するのは、日常性を支配してきた基礎哲学の変革である。つまり、人を人として尊重すべきことを改めて社会の基礎に据えること。だからといって障害者も「みんな」の中に解消されてしまうのではなく、今はとくに障害者の声に特に耳を傾け、それに学ぶ必要がある。
かつては、労働者や女性やこどもが「人」のうちに入っていなかった。これらの除外された人々の権利を認めることは、もちろん、その人々の被っている不利益を解消することが第一の目的だが、しかしそれは特殊的利害の追求ではなく普遍的・一般的な価値や意義を持つことだった。原理的にはそれと同じことが言える。
端的にいえば、「仕方ない、と簡単に言わせない社会」になってきている、ということだろう。検査して、特定の特性が明らかになった、あとはもう仕方ない、当人まかせ、というのでは、もう通らない。
色覚検査の「有無」ではなく「天地」が問題だ、というのは、このことである。
検査そのものはあって当然だ、そのうえで方法を工夫しよう、というのではない。むしろ逆。「検査があること自体」なるものがなくなった、ということである。何のための、誰のための検査なのかが、趣旨と実態において、常に問い質されなければならない。
検査再開について議論するなら、「どんな」趣旨の検査を「いかに」運用してゆくことが当事者および皆にとっての福利の実現につながるのか、吟味が必要だろう。
一言にまとめるとするなら、歴史が教えるのは次の教訓であろうか。
多様性の尊重なくして検査なし。
■ 2015年4月3日
■ 2015年4月15日 タイトル、一部文言・装飾等修正