事故の政治利用に関しては古典的な例がある。というより、色覚検査の歴史は事故の政治利用から始まるといった方が正確であろう。
「ラーゲルルンダの列車衝突」。
1875年11月15日、スウェーデンで夜行急行同士が正面衝突し、9人が死亡。色覚検査が世界的に普及するきっかけになった事例である。
日本でも石原忍の『学校用色盲検査表』で「同国の生理学者ホルムグレーンが調査して、その衝突の原因は、運転手が色盲であって信号を見誤ったためであるということを発見した」と紹介されていた。
しかし、この事故については、最近になって(2012年)検証結果が発表されている。それに従えば、色覚と事故との関連性が証明されたなどとは到底いえそうにない。
その検証論文は、次のものである。
Mollon,J.D. and L.R.Cavonius, 2012, “The Lagerlunda Collision and the Introduction of Color Vision Testing,”
Survey of Ophthalmology 57(2): 178-94.
題名を翻訳すれば「ラーゲルルンダの衝突と色覚検査の導入」。
内容は非常に詳しいのだが、以下、ここではかいつまんで要点のみ略記すると、まず、
1)当の運転手は事故で死亡。当人の色覚検査はできていない。(当時はまだ一斉検査なども一般化していない)。
2)ホルムグレーンのおこなった「調査」とは、他の鉄道会社の従業員266名に検査をほどこして、13名の色覚少数者を検出した、というもの。
−−この2点だけでも今日的な意味での「事故調査」と呼べるものではないことがわかろう(これはこの論文でなくともわかっていたことだが)。
さらに、事故状況を資料によって詳しく再現すると、次のようになるとのことである。
3)大雪の深夜。運行に遅れが生じ、単線区間のため、上り列車と下り列車のすれちがい地点を変更しなければならなくなった。しかし、当時、駅同士の連絡にも電報しか通信手段がない。乗組員と直に連絡を取る機会は信号または通過駅しかない。その状況で、連絡系統の乱れ、ヒューマンエラー、規則違反などが積み重なって、事故が起こった。
4)それも、信号を見落とした列車が暴走したといった単純なものではなく、駅員のランタン信号でいったん停止しかけた列車がなぜか再び走り始め、事故に至ったという不可解な謎を含んでいる。
−−重大事故の通例通り、複数の要因が複雑にからみあい、なお詰め切れない部分が残る。
そのためかどうか、ホルムグレーンも事故の原因については断言口調ではなかった。機関士二人のうちどちらかが色盲であったのではないかと臆測した程度。しかし、これが後の研究者に受け継がれていくうち、「色盲が事故の原因であったことをホルムグレーンが明らかにした」式に、断片化・断言化されていった、というのである。
ホルムグレーンはまた公開実験もおこなった。すなわち、二人の車掌を距離を置いて立たせる。その一方が色覚少数者。そうして、色覚正常者の車掌が掲げるランタンと同じ色のランタンを掲げさせる、という実験である。
これにより、色のとりちがえが発生することを証明した、というのだが、しかし、この実験にはその結果が生じるよう細工がなされていたことが判明している。
すなわち、一方の車掌に緑しか出せないランタン、他方の車掌に赤しか出せないランタンを持たせて、とりちがえを人為的に発生させた(そのランタンが現存している)というのである。
まとめると、ラーゲルルンダの列車衝突に関する当時の研究は、
1)そもそも「事故調査」ではない。
2)事故の実情はもっと複雑なものであった。
3)公開でおこなわれた実験はニセ実験であった。
4)後続の研究者も再検証することなく、むしろ断片化・断言化されていった。
この検証に従うかぎり、次のように見るべきであろう。
一斉色覚検査による就業制限は、事故原因に関する科学的検証の結果ではなく、不十分な調査と虚偽の証拠による疑似科学的判断によって、導入された。
ラーゲルルンダの列車衝突事故は、事故と色覚の関連についての流言を生み、当事者を守り支援するためというよりも、社会を"危ない当事者"から守るため、色覚検査を導入して就業制限すべく、政治利用されたのだ、と。