次のような記事を新聞で見かけた。
東京都 「障がいは言い訳」ポスター、批判で撤去
「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」。東京都主催の障害者スポーツをPRするイベント用ポスターのキャッチコピーに対して、障害者らから批判が相次ぎ、都は15日夜、JR東京駅構内からこのポスターを撤去した。選手が自分を鼓舞した言葉が、せりふの形を取らずに使われて誤解を呼んだ形だが、東京パラリンピックを2年後に控えて、障害者スポーツを推進する難しさがにじむ。
毎日新聞2018年10月16日
−−「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」。
障害当事者が自分を鼓舞するために自分に言い聞かせていたことは尊重すべき気概であっても、それを非当事者が借りて他の当事者にお説教するなら差別発言となり、行政当局がこうアナウンスしたら責任転嫁となる。
ポスターは誰が誰に向けて言っているのか不明で、この恣意的・政治的な流用を止められない。元の言葉も、ひとたびこのような枠組が発生するなら、差別や自己責任化と共振してしまうようになり、当事者世界においても用いることが難しくなるにちがいない。
くだんの文言に「被災」を代入しても、同じ構図が発生するだろう。
かつて色覚検査について「強気で積極的に受け止めろ」という言があったのも相似形。
かなり遍在する問題なのだと思う。
*専門的注釈: 相互行為論の教材にしてもよい事例であると同時に、インタビュー結果のそのままの記述とか写実主義的エスノグラフィー(つまり著者の不在状況)にも同じ危険が生じうることを自覚するべき教訓。