夕闇迫れば

All cats in the dark

■ ホーム >  エッセイ(第6集)  > はまりがちな型

「言い換えマニュアル」:はまりがちな型

 「障害」と書くか「障がい」か。
 そんな議論をする暇があったら、どんな支援ができるか考えてほしい。
 −−そんなツィートが話題とか(もうかなり「古い」話になってしまっているのでしょうか。いやはや)。

 一理も二理もある話だと思います。

 というのも、「その特性や、その特性を持つ人のことを、何と呼ぶか」という論題は、一般にはしばしば、「何と呼んでおけば差別だと論難されなくてすむか」という「言い換えマニュアル」と化していて、1)当事者を守るための議論ではなく、その言葉を使う非当事者を守るための議論になってしまっているからです。

 もっと言えば、2)「差別とは当事者に対して非当事者がするもの」、つまり「差別とは呼び名の問題だ」、いやさらに言えば、3)「当事者とはそのように言葉のささいなニュアンスに敏感な存在なので、傷つけてはいけない」というように、問題が狭く定義=限定されてしまっているからです。

 くわえて、4)差別が「あからさまな侮蔑」のように見下しとかヘイトの意味で受け止められていると、「侮蔑する意図はなく、ただ慣習的な言葉遣いに従っているだけなのに差別とは、ひどいじゃないか」といったふうに、議論が紛糾してしまいがち。

 そんな議論をしているうちに、社会の制度や習慣、技術などがもたらす人間の選別や排除、という意味での「差別」の問題が、すっぽり抜け落ちてしまいます。

 冒頭に紹介したツィートは、そのことを言い当てているのではないでしょうか。

 

 上へ hana

 ところが、そのような会話に、実に陥りやすいのですね。

 私もよく「色盲はいま何と呼んだらいいんですか」という質問を受けます。

 質問者は、たいてい、もっと深く知り、当事者の置かれている状況を理解しようとしているのですが、とりあえず何と呼んでおいたらいいのか知らないと要らぬ議論を呼び起こしてしまうかもしれない、そもそも私(報告者かつ当事者である徳川)に対して失礼かもしれぬ、と考えて、そのような質問をされるのだろうと思います。

 ですが、時間がそれでいっぱいになってしまったりすると、いかにも「安全な呼び名論議」の絵に。

 残念な、しかし実に陥りやすい、落とし穴です。

2018年2月18日 facebook
 

 上へ hana