夕闇迫れば

All cats in the dark

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 *再編ののち同趣旨の内容が拙著に収められています。

投げ出し

 そのままの世間に投げ出されていた当事者。だから検査再開を、とはタイムスリップだ。検査の有無ではなく、その天地を問うべきだろう。

 検査撤廃後、10年がたった。その条件で育った世代が、進学や就職の時期を迎える。ところが、職業上の支障に気づかないまま進路を選んでしまったなどといった問題が、障害の「潜在化」として報道され、それをもとに検査の再開が求められている。

 これのどこがおかしいか。

 

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 たとえば、『毎日新聞』(2013年2月27日付)は、次のように伝えている。

 【引用】

 小学校で義務づけられていた色覚検査が廃止されてから10年がたち、検査を受けずに育った世代が就職の時期を迎えている。色覚に異常があると、職種によっては業務に支障が出る可能性もあるが、現在はほとんどの職業で、色覚での採用制限はない。異常に気付かず就職時期を迎えた人たちからは、自分の色覚の特徴について「もっと早く知りたかった」という声も出ている。

 神戸市の高校に通う男子生徒(18)は昨秋、消防士の採用試験直前に眼科に行き、色覚異常を知った。気付かず生活してきたが、赤が見えにくく、薄いピンクは白と区別できない。採用試験では身体検査で再検査に回され「頭の中が真っ白になった」という。

 「色の見え方が人と違うと感じたことはなかった」と男子生徒は語る。「消防士は小さいころからの夢。部活もやめて試験勉強を続けてきた。自分の努力は何だったのか」

 男子生徒は最終的に、色弱者向けの補正眼鏡の使用を認められ、再検査で合格した。「自分の特徴を知った上で、夢を目指すべきかどうか考えられる方がよかった」と話す。

 ……[略]……色の見え方が他の人と違うかどうかは、本人も周囲も気付きにくい。日常生活にもほぼ支障はないため、就職試験で初めて自分の色覚異常に気付く人も出てきた。色覚での採用制限は現在、ほとんど行われていないが、印刷や塗装、服飾など色を扱う職業ではハンディになる可能性もあるので、早めに自分の色覚を把握し、対策を講じたい。……[略]……

 

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 興味深いことに、2013年のこの記事は、1926年の『朝日新聞』(5月8日付)に見られる次の投書例と、酷似している(仮名遣い等を現代風に改めた)。ミスタイプではない。1926年である(同年12月から昭和)。

 【引用】
 私は昨年、某高等学校の試験を受けて成功しなかった時、人を通じて私の成績を調べてもらった結果、体格不合格のためと分かりました。それは「赤緑弱色盲」のため理科志望が許されないというのでした。もしこれが分からなかったら、全快の見込みのない色盲のために理科志望で何年ムダ骨折をさせられたか分かりません。幸いに知人のおかげで事情が分かったので今年は文科を志望して無事入学ができました。校長さんたちよ、私と同じ運命におる人たちを救ってやってください。

 何が制限されているかは違っている。しかし、制限の理由が説明されておらず(触れられておらず)、人間の側の適・不適だけが問われている点で、共通している。つまり、何が問い質され何が問い質されていないか、という挙証責任の構造において、この二つは同じ種類の文例なのである。この論理構造の上で、その適・不適を前もって知ることができないのが問題なのだ、という結論が導かれている。

 実際に支障があるかないかは、確かに問題となり得ることであろう。しかし、それが説明されなければならない事柄だと見なされているか、それとも既決事項なのだから説明する必要はないと見なされているかは、それとは異なる問題である。そしてどちらであるかによって、支障の問題も性質が大きく違うことになる。

 ここで問題となるのは、社会の制度的位相である。試験の出来・不出来といった当人の「努力」や「業績」以外のところで、問い質されることのない、つまり説明のない(あるいは前もって示してさえあれば説明するには及ばないと見なされている)条項によってもし不合格になったら、社会編成の基本原則にかかわる、法的な意味での、人権問題としての「差別」であろう。
 少なくとも当人の納得や感情といった次元の話ではあるまい。

 制限が緩和なり撤廃されてきた経過は、記事本文や用語欄で触れられている。差別だとの指摘があったことも紹介されている。しかし、それが「なぜ」「どんな意味の」差別とされたのかの解説はなされていない。
 だから、かえって、それだけ寛容になった社会でなお残されている制限なのだから、たとえ「日常生活にもほぼ支障はない」程度の「異常」であっても、それが原因となって何か重要な「支障」や「ハンディ」をもたらしてしまう危険があるにちがいない、きっとそういう合理的な根拠があるのだ、と暗示されているかのようである。
 社会はもう十分に優しくしたではないか、というわけだ。

 検査の撤廃が当事者をこうした論理構造の中に投げ出していなかったか。

 なおちなみに、50年余り前になされた職業分類では、先の記事で志願者を悩ませていた「消防」について、「消防員」が「丁類」、つまり色覚には関係ないので就業にも問題ない、とされていた。

 

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 障害学の古典となっているM=オリバーの『障害の政治』(1990=2006年、明石書店)は、現在まで続く数々の議論を引き起こしているが、しかしそれでもオリバーは画期的だったという共通理解が成立しているように思われる。
 それは、かれが同書で「何が問い質されるべきなのか」を鮮明にひっくりかえしたからであろう。

 それまでは個人が問い質された。自覚し熟考し自制しなさい、と。それが、社会が問い質されるべきことになった。人はここに居て良い。なんのためにあるのだ、そのままでよいのか、と問われるのは、個人ではなく社会である、と。

 これは、ものを考える時の基本原則、あるいは社会編成の根本原理の転換(1)として、言われたものである。経済史・社会思想史の碩学、内田義彦の言葉を借りるならば、障害学における「挙証責任の転換」とでもいえようか。

 たとえば、映画『モダンタイムス』の一場面を想起してみよう。効率性のみを重視する工場の歯車にまきこまれてゆくチャップリンの姿はあまりにも有名だ。それでおかしくなってしまったかれに、医者は「おちついた暮らしをしなさい」と勧める(正確なところは確認していないが)。処方箋としてはまちがっていなくとも、これは「あなたの働き過ぎの問題」だろうか? その「おちついた暮らし」は、社会からの追い出ししか意味しないのではあるまいか?
 何が問い質され、何が問い質されていないか、わかるだろう。

 では、定期健康診断はなんのため、どんな趣旨のものか。もちろん健康の自己管理の機会という側面はあるだろう。しかし、それを理由に極悪企業が社員の過労死や鬱病は当人の健康管理の問題だと言ったら? 
 あなたは色弱です、治りません、これこれの道には進めませんからそのつもりで、以上、だったら?

 関連して、いわゆる疑似体験の天地についても触れておこう。
 車椅子で街に出てみる。「足が不自由な人ってこんなに大変だったんだ!」と「歩道ってこんなに障害物だらけだったんだ!」は、問うたものがちがう。つまり、何の疑似体験であるのかが異なる。

 

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 2013年『朝日新聞』(9月19日付)では、日本眼科医会による調査結果として、当人の色遣いが、教師から「ふざけていてはだめ」と言われたり友人にからかわれたり、黒板の赤チョークが判別しにくいなどの事例が、「トラブル」として(!)紹介されている。

 これも検査再開を求める理由とされてしまうのでは、「まさか」レベルの暴論であろう。

 その教師の無認識や教室の雰囲気、教育上の色遣いに関する習慣を変えようとする努力が、どれほどなされてきたのか。その責任はいったい誰にあったのか。当の眼科医会は、文部科学省は、なにをどう指導してきたのか。教育界の対応はどうだったのか。それは、記事を読んでも紹介されていない。つまり、「問われて」いない。

 それで検査を再開して、どうして問題の解決を期待することができるというのであろう。「あの子は病気なんだから、からかっちゃいけません」レベルの注意や、「この道はあきらめておきましょうね」という助言(?)がなされることになるのだろうか。

 このような状態で検査を再開しても、「自覚するチャンスは作ったのだから、あとは本人の責任」とばかり、社会を与件として固定することに寄与しかねまい。

 

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 かつての検査に対しては、当事者の見地からしても、二つの評価がありえた。

 第一に、いったい何のための検査だったのか、という疑問である。半世紀にわたり全児童の色覚を一斉検査で調べ上げながら、社会の色彩環境の改善とか合理的な配慮といった発想がこうまで希薄だった社会である。教育上の配慮すらなされていなかった。ケアなくして検査なし、排除にだけ用いられる検査は撤廃せよ、という訴えが、ここから出てくる。

 第二には、しかし当事者に不利な社会の現状がある。生命にかかわる警報ですら色彩に無頓着だった。だとしたら、当事者はみずからの色覚の特性を知らなければ自分の人生を築いたり命を守ったりすることができないではないか。検査をうけて知る権利がある、という主張がここから出てくる。

 従来の検査と告知にはいろいろな問題があった。いま挙げたことのほかにも、たとえば、診断のカテゴリー(赤緑色弱とか)を告知するだけであって、実際に私の目には検査表以外のどんな対象がどんなふうに見えがちかの説明はなんらなされなかった。教育上の配慮、たとえば板書の配色にすら、活かされなかった。これでは「何のための」ということになるだろう。

 そのうえで、いずれ制限されることになるのだから幼少期から言いきかせておけばよい、という意味の早期告知がなされていたのである。これではまるで洗脳だとの批判が、第二の立場の人からも出されている。

 だから、上の二つの評価を、検査の有無に対応させるのはおかしいだろう。というのも、二つの評価は、対立するように見えながら、しかし、従来の検査と選別が当事者本意ではなかったと批判する点で一致するはずだからである。

 当事者本意ではない検査だから廃止すべきだ、という議論になったのであって、だから、かりに、もしそのままが復活するのであれば「当事者の利益」になどなろうはずがない。

 このことから得られる教訓は、検査の天地であり、検査の有無ではないはずだろう。
 ところが、投げ出しの事態は、これを検査の有無の問題だとする論理構造を呼び出してしまっている。

 

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 もともと色盲・色弱は、進路に制限を設けることが正当化されるほどの「異常」だとされていたが、しかし難病や障害と認定されたことはない。つまり、色盲・色弱のそれ全体が、かなりあいまいな境界線の上にあった。色覚少数者は、「異常」とされながらも、福祉的対応にカバーされることなく、そのままの社会にそのまま存在していたのである。

 この懸案に対して、「もともと大したことはないのだ」は、確かに一つの解だったと言える。本質論を裏返した構築論、つまり身体に内在する「欠陥」や「異常」が「ある」とする本質論に対して、それは「ない」少なくとも「大したことはない」とし、境界線は一種の誤診ないし臆断によって「つくられた」ものだと主張する構築論が、大きなインパクトを持った。

 しかし、そこに理論上のスキが生じていたことは否めない。結果的に、残存する制限が人間を部類分けすることを許容し、検査の撤廃が、ある人には解放、ある人には隠蔽であり投げ出しである、という分断を生じさせてしまったからである。

 また、制限の根拠を問うて不合理ならば制限をやめろと訴える、それだけでは足りぬ時代になってきていることも確かであろう。

 今後は、社会の色彩環境の改善、カラーユニバーサルデザインをもっとすすめることはできないか、職務上に支障やハンディが生じるとしても合理的な配慮をほどこす余地はないのか、考えなければなるまい。

 そのような努力は、絶やさずにしてゆかなければならない。ここまで来たからもう十分だ、あとはもう仕方ない、と考えてはいけない。そう考えたとたん、人の側が問い質されるようになる。

 こうした努力にとって、専門家や科学の力が必要なのは言うまでもない。個々の職場が独力で「工夫」「配慮」することは困難だからだ。専門家や科学の「倫理」とは、単に手続き上の説明と合意のみにあるのではなく、何のための専門であり科学なのかを問うところにあるだろう。

 個人の選択が、自己選別の社会的強制ではなく、選択と呼びうる内実を持ちうるのは、そのような「検査の有無ではなく天地」の吟味、つまり正当性の転換があって、改善の継続的な努力がなされている社会であって初めてではないだろうか。

2013年9月〜10月
 

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(1) 「治療モデル」と「社会モデル」といった言い方があるが、誤解が多いので、私は用いない。第一に、これは相対的なモデルの問題ではなく、天動説から地動説への転換になぞらえてもよいパラダイムの転換である。第二に、個別ケースにおいて、変わるべきは社会なのだから医療など要らない、といった杓子定規な二者択一を勧めているのではない。それではかえって医療の天地を問うことができなくなるだろう。両モデルの「統合」も、安易に言われるなら、転換の意義を見失うだろう。→本文へ


 ■ 2013年10月10日

 

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