Q いま色弱者がかつてより生きづらくなっている、とはどういうことでしょうか。
A 世の中はますますカラフルになってきているというのに、それを読み解くことができるのが「普通」だ、なのにそれができない人々がいる、という推論がなされて、人間がもっている多様性を社会が「問題」として浮き立たせてしまっているからです。
→ より詳しく読む
■ ホーム > 冒頭エッセイ(Q&A式概要)
Q いま色弱者がかつてより生きづらくなっている、とはどういうことでしょうか。
A 世の中はますますカラフルになってきているというのに、それを読み解くことができるのが「普通」だ、なのにそれができない人々がいる、という推論がなされて、人間がもっている多様性を社会が「問題」として浮き立たせてしまっているからです。
→ より詳しく読む
Q 「社会的につくられた色弱」という表現があります。
A 「社会的につくられた」と言えば、日常感覚的には、「実はそんなものは存在しないのだ」と言っているように響きますね。
しかし、ここに言う「社会的につくられた」は、イコール「名札の産物」ではありません。色覚特性のちがいは確かに存在するのです。ただし、それが「問題」とされるのは「色覚に大きく依存した技術や習慣が広がったから」です。
私が色弱を「社会的につくられた異常」だと呼んでいるのは、「実は色覚のちがいなど存在しない」と言いたいためではなく、「実在するとはいかにしてか」「あるとはいかにあることか」と問いたいから、なのです。
→ もっと詳しく読む
Q 非当事者が色覚についてよく知らないことが問題なのでしょうか。
A ここで「差別」というのは、「非当事者が当事者に対してしていること」ではありません。非当事者の無認識を責めたてようというのではないのです。
そうではなくて、人を部類分けする「社会」がそこにある、のです。いわゆる非当事者も実はその社会によって部類分けされています。なのに、自分は当事者ではない、だから問題を感知することもそれについて考えることもできない、と感じるところに、当事者・非当事者双方における「語りづらさ」の大きな要因があるように思います。
私自身、当事者なのに、かなり長い間、無頓着でいました。当事者も、何らかの特性を持つというだけで自動的に意見や態度を持つようになるわけではないのです。
→ もっと詳しく読む
Q 差別だとの指摘を受け、学校での色覚検査が必須でなくなったことから、かえって当事者が自分の色覚異常に気づくことができないので、不利益が生じている、だから検査を再開することが必要だ、との意見があります。
A 「自覚の必要」とはよく言われることで、「抽象的には正しい」と思います。けれども「現実的には正しくない」と思います。私たちは「多様性を許容しない社会」に生きているからです。
検査は当事者のためのものなのだ、という理屈を現実のものにするためには、第一に、「多様性の尊重」を社会にむけて啓発することが必要です。そのうえに「積極的な社会改革」とか「当事者本意の支援」があるべきです。それなしに当事者に「自覚」ばかり迫っていたら、「社会の都合に合わせて人間が選別される」という事態を放任することになり、世の中はますます生きづらいものになります。
→ もっと詳しく読む
Q 検査そのものは悪くないのに、それを受け止める社会が悪い、ということでしょうか。
A その「検査そのもの」という言い方にも、問題が隠されていると思います。過去の検査の差別的な実態が問い質されなくなっているからです。
かつての検査の問題点をひとつにしぼるとしたら、後対策がなかった(弱かった)点に求められるでしょう。あぶりだして「この道に進むのはやめておきなさい」と言うだけだったのです。
今、検査して、こどもの未来を遠く広く見わたし、支援する構想は、あるのでしょうか。その「全体としての制度」の構想なしに、検査は是か非かと問うても、あまり生産的ではないのではないでしょうか。
何のための誰のための検査なのか考え、ポジティブな未来を構想するためにこそ、過去の教訓に学ぶべきでしょう。
→ もっと詳しく読む
Q 音痴な人が音楽をめざしたら大変だ。それと同じく色覚異常も個性なのだから、それを自覚しておくことはやはり必要なことではないか? そう言われると、不向きな道を知っておくことも当然なのでは、と思えます。
A 確かに、自分の特性を自覚しておくべき場合もあるでしょう。
しかし、大多数の場合、ひとつの能力とひとつの仕事が一対一で対応するようなわけではありません。十把一絡げには言えないのです。ふるいわけ検査をもとにして自分で勝手に決めつけないようにしてください。
そのうえでいえば、色覚は「社会制度化された感覚」であり、色覚異常は「医学的カテゴリー」として取り扱われています。そしてなぜそうなるかと言えば、私たちは「正常な」色覚を持つことを前提としたカラフル社会をつくりあげてきてしまっているからです。他の感覚と同列に論じることはできないのではないでしょうか。
→ もっと詳しく読む
Q 医学者たちがそういうことについて無自覚で、悪かったのでしょうか?
A それ以上に、人文・社会系の研究がこれまで手薄だったことが問題だと私は考えています。本来、いろいろな分野が知識や技術や思索をもちよるべき課題なのだと思います。
→ もっと詳しく読む
Q 今後に向けての展望をもう少し
A 弱者保護の論理にとどまらない、多様性の尊重という考えの普及がまず必要です。そのうえで、これまでの問題についての反省をふまえれば、カラーユニバーサルデザインの追求、当事者の経験に学ぶ知の創出、当事者に対する積極的な支援などを構想することができるでしょう。
これは一種、新しい学際的・応用的な領域の創出という論点になります。
加えて、「科学」だけでは解決できない問題もあります。つまり、正常/異常の二分法を見直し、皆がなんらかの支障を抱えながら生活していることを前提とした健康観をつくりあげる必要があるでしょう。これは、車座の知とでも言うべき新しい科学観・学問観として、構想する必要があるでしょう。
→ もっと詳しく読む
□ 2017年10月28日版