結局、これは「哲学の選択」に行きつくのではないでしょうか。どんな考えでどんな社会をつくるのか、その基本的な考え方です。
検査の結果、「これがだめ、あれもだめ」、「なおりませんから」、「あとは自分で自覚してください」。それで おしまいになる社会。あとはおきまりの悲劇物語による解釈が再生産されるだけ。この構造が、社会から聞く耳を失わせているのです。
検査の結果、こういうことがわかった。じゃあ困らないように、技術をこう使ってみよう、環境をこう工夫してみよう、世の中の慣習も改めてゆかなきゃな!
私はそういう社会に住みたいと思います。
「そんな特別な費用負担は、やはり社会にとって重荷なのではないか」といった反応が、よくあります。しかし、少なくとも近現代の歴史は、そのような特別視を除去し、人権を普遍化してきた歴史ではなかったでしょうか。
人間を「選別」しているだけの社会では、それで「勝者」になった人でも、そのうちきっと切り捨てられることになるでしょう。事故にあったとき、病気になったとき、歳をとったとき、等々。