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■ ホーム > 古テクスト  >  第2集  > なくなった制限 

 【要旨】 進学・就職に関して、過去の制限の例。

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なくなってきた制限

 では、どのくらい制限があったのでしょうか。

1 過去の制限例

 1974年に出された百科事典が、手元にあります。「しきもう」の項を引くと、説明の後に、次のような注釈がなされています。

 注意:これは過去の例であって現在の例ではありません

 【引用】 「色盲は日常生活においてはあまり支障はないが、職業の選択や進学に際して支障のある場合がある。
 職業選択に当たっては、安全性が非常に要求される鉄道や船舶・飛行機などの交通機関の運転・操縦者、画家・カメラマン・デザイナー・医師・化学者など微妙な色の識別を要求される職業には注意を要する。
 進学では、工業高校の工芸・染色・化学などの分野、農業高校の食品・化学の分野、さらに大学の医学部・教育学部・水産学部・芸術学部・工学部・薬学部の一部では入学が制限されることもある。」
(旺文社『学芸百科事典』、第8巻、302頁。[改行]は原文の改行箇所)

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2 撤廃されてきた制限

 進学の問題のうち、医学部や薬学部における制限については、「もっともだ」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、これらの制限の多くが、撤廃されてきているのです。

 高柳泰世の『つくられた障害「色盲」』(1996年、朝日新聞社)の33頁によれば、医師法に色覚にかんする条項はなく、また実際、1993年度からは大学の医学部入試で色覚異常を理由にした制限を撤廃しています。また、同著34頁その他によりますと、薬学についても同様で、薬剤師法には色覚関連の条項はなく、現在、薬科大学に制限はないとのことです。農学部・理学部でもすでに国立大学では色覚制限が撤廃されています。

 私も不思議に思っていたのは教育学部です。が、前掲書64頁によれば、国立大学の教育学部でも1992年度から色覚制限が撤廃されました。

 化学。原子説や「ドルトンの法則」で有名なイギリスの化学者、ジョン=ドルトン John Dalton は色盲でした(ダルトン、と、表記する場合もあるようです)。それを自覚していた彼は色盲についての研究もし、それで英語圏では色盲のことを Daltonism と呼びならわしています。

3 「支障」と「制限」

 また、これは私見ですが、上に掲げた記事の中の「支障」という言葉には「あれっ?」と感じました。

 「日常生活においてはあまり支障はないが、職業の選択や進学に際して支障のある場合がある」。

 「日常生活においてはあまり支障はない」というのは、たとえば家のなかで何かモノをとりちがえるといったようなことはあまり起こらない、という意味でしょう。決して、「世間で問題視されることによって、結婚に影響がおよぶ場合がある」などの事態を指してはいないと思います。そうした社会的な事柄を「支障」と呼ぶわけにはゆかないからです。

 では、「職業の選択や進学に際して支障のある場合」とは、どうして「支障」なのでしょう。「制限」が設けられている場合がある、と書くべきなのではないでしょうか。この文では、人為的に設けられているはずの「制限」が、自然な「支障」に見えてしまわないでしょうか。

 その一方、これ以降は「支障」という言葉が登場しなくなります。

 「職業選択に当たっては……注意を要する」。この文は、誰が「注意」するのか、直接的には触れていませんが、「選択に当たっては」ですから、「当人が」ということでしょう。「微妙な色の識別を要求される職業」をうっかり志望してしまうと、いろいろと「制限」のある場合があるから自分で前もってよく「注意」して職業選択しなさい、と、この文は述べているのです。けれど、具体的には、どんな「支障」が予想されるというのでしょうか。それについては触れていません。

 「進学」についてはさすがに「入学が制限されることもある」という表現になります。でも、さっきは「進学に際して支障」ではなかったでしょうか。具体的にどんな「支障」があるから「制限」が加えられているというのでしょう。それについては触れていません。具体的に、薬剤師は、どの薬とどの薬をまちがえて処方してしまうのでしょうか。画家は、どんな絵を描いてしまうというのでしょうか。

 これはおそらく書けなかったのではないでしょうか。「画家になっても色づかいがまずくなって評価を受けられないなどの支障がある」とか「薬学部に進学しても薬品の色をみまちがえるなどの支障がある」といったことは、たぶん立証されていないからです。

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この項、おわり 前へ 次へ