子どものころ、学習漫画というのを私はよく読みました。人体・地球・宇宙などの話題が好きでした。
【要旨】 学習漫画にあった例の記憶。
子どものころ、学習漫画というのを私はよく読みました。人体・地球・宇宙などの話題が好きでした。
人体のメカニズムをあつかった漫画(1)の中に、「色盲」が出てきました。そのエピソードは、こうでした。
学校の写生会、風景画を描いている生徒が一人。そこへ、この手の漫画におきまりの「なんでも博士」役のおじさん?(学校の先生かな?)が、背後から、「あの家の屋根はもっと赤いよ」。
色覚検査の表みたいなモノ(2)って、あんまり見かけることはありません。あれが見えないとしても、どうってことありませんでした。が、この漫画によると、普通のものが違って見えているらしい・・・のです! 「ということは、ぼくが見ている色も、みんなの見ている色と、違うのだろうか」。とくに「ショック」というわけではありませんでしたが、自分の色知覚について深い疑念が生まれたのは確かです。
のちに、この漫画のエピソードは、なんだかウソっぽいし、イヤだ(3)、と思うようになりました。
(1) 学習漫画
長らく不明のままでしたが、ここで想起している漫画は次のものです。鈴木敬信・古川晴男・鹿沼茂三郎(監修)、1969(昭和44)、『なぜなぜ理科学習漫画 9 人体の神秘』、集英社。第5集第一話で紹介しております。→本文へ
(2) 色覚検査表と実生活
あとで気づいたことですが、実際の生活であのような色合いのものに出会うことは、まずありません。あの検査表は、色覚特性のちょっとした個性でも「異常」としてあぶりだすよう、作られていたのです。かつては徴兵検査に用いられていました。そのために開発されたという性格も強いのです。
たとえて言えば、「100メートル走」の検査を受けて15秒以内でなかった人が、「だから外まわりの仕事がある会社には就職できない」と、言われているようなものではないでしょうか。→本文へ
(3) その屋根はもっと赤いよ
「色が薄く見えている」といった前提があるのでしょうか。でも、少し考えると、おかしな (非論理的な)設定だと気づきます。
もし、くだんの建物の屋根の赤色が、その生徒の目には薄く見えている、のだとしたら、絵の具も赤も同じだけ薄く見えるはずではないでしょうか。つまり、この漫画の設定では、「屋根の赤」は薄く見えているけれども「絵の具の赤」はホンモノ通りに見えていることになるのではないでしょうか。
いま私が思うに、ホンモノの色がどう見えているかどうかよりも、「君の色覚は異常だ」という言葉の方がよほど人を戸惑わせるのではないでしょうか。その言葉は、「君の見ている世界はみんな幻覚かも」と言われているのと同じで、人を無限の自己懐疑に陥れる効果をもっているように思います。
実際に、私はこれで絵の具の使い方がわからなくなりました 。見えないためにわからないのではなく、惑わせられたからわからなくなってしまったのです。→本文へ