色覚検査表(1)、つまり【図1】に示すような、いろいろな色の点々が集まって作った円の中にうかんだ色つき数字を、一定年齢以上の方なら、見せられたことがあるはずです(注意、【図1】の画像は古本からスキャンしたもので、もとの色合いではあり得ません)。
私の場合、受けた記憶がある最初の色覚検査(2)は1970年の頃。小学校の低学年です(最初は一年生時に受けたはずだが記憶がない)。健康診断の折、教室の机椅子をうしろにとっぱらって広くしたところで、みんなで並んでいろんな検査や測定をする、その一つとして、色覚検査があったのです。
【図1】 石原式検査表の一例。
小学校で、その検査を受けていた私は、途中から、数字が見えなくなりました。見えそうで見えない。妙な数字に見える……。
「127」。何か言わないと怒られる、と思ったか、見えないことを認めたくなかったのか、私は当てずっぽうを答えて、「どこを見とるん、これ見るんよ」と、先生(3)に言われました。
私はずいぶんぼんやりした子で、忘れ物はしょっちゅうだし、教科書の字をノートに写すのもまちがいだらけだったので、先生ははじめ、また別のところでも見ているのではないか、と、想像したのでしょう。
けれど、どんなに目をこらしても、見えないのです。「なんで見えるん?」。すらすら答えている友達の姿(4)の方が、なんだか不思議でした。
「赤緑色弱」(せきりょくしきじゃく)と告げられました。
これはイデンによっておこることで、ずっとなおらない。大きくなっても、技術や美術や医学などには、進まない方がいい。学校の先生も、無理かもしれない。先生から、そう言われたことを、覚えています。
おかげで、遺伝(5)という言葉を、クラス中でいっとう最初に、覚えたんじゃないかと、思います。
将来という、とんでもなく未来のことらしいものについて、漠然とにせよ考えたのは、これが初めてでした。