夕闇迫れば

All cats in the dark

■ ホーム > 古テクスト  >  第1集  > 同じ質問しちまった 

 【要旨】 同じ質問をしてしまったことがある方をここで責めようというのではない。そのことで引っ込み思案にならず、むしろそれをキッカケに理解を深めることが大切では。

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同じ質問しちまった!、という方へ

 うらんだり憎んだりはしていません。「差別された」とも思っていません。なにも変わらず、友達でいました。いい友達でいてくれたから。私だって彼の立場だったら同じ質問をしていたことでしょう。

 私の答えは十分ではありませんでしたが、彼はたぶん認識を新たにしてくれたのでしょう。それは何も責められるべきことではなく、むしろ理解にとっての貴重なきっかけだったと言えるでしょう。

 もちろん、愉快な質問でないことに変わりはありません。他にも敏感になってしまう言葉(1)はあります。でも、「つい発してしまいがちな言葉」や、「不適切とわかっているけど代用がないので使われがちな言葉」と、「偏見や先入観でいっぱいになった言葉」は、 区別するべきだと、私は考えています。 「ただ知らなかっただけのことで、説明したら分かってくれそうな人」や「言わなくてもつきあっていれば分かってくる人」と、「頭が固くて偏見でいっぱいで、何を言っても通じないから、最終手段として抗議せざるを得ない人」との区別も、するべきだと思います。言葉尻で人を決めつけてはいけない。当然のことですけれども、強くそう思うんですね。

 だから、ここで皆さんに対するウラミツラミを爆発させようというのではなく、また、人の無認識を指摘して論難しようというのでもなく、それより、自戒もこめつつ考えたいことがあるのです。

 こんな身の上話が始まると、「ショックだっただろうな」、「傷ついたろうな」、そう想像が働くと思うのです。私も、他人の「不幸な」体験を聞くとき、決まってそうでした。

 私を含んでしまったので言いづらいけれども、それは基本的に、人の苦労を理解しようとする、やさしい、あたたかい心の動きだと思うのです。 けれども、そのことが思わぬ落とし穴につながってもいるんじゃないか。

 私もそうだったんだけれど、なにかのやまいやしょうがいや少数派の特性をもった人のことを「理解したい」と思うとき、「でも、自分の何気ない一言が、相手を傷つけたら、どうしよう」と、しりごみしてしまう人は、多いと思うのですね。

 同じ質問をしてしまって、関心をもった方々には、それがもとで、そんなふうに尻込みしてほしくないのです。

 体験者が、あなたに、自分の体験を語りはじめたとしたら、それはあなたを信じてのことです。そこでのしりごみは、ものすごいバリアを作ってしまう。

 そのしりごみは、一見、おもいやりに見えるけれど、そんなふうにしりごみされると、体験者たちは、「どんなことに傷つくかもわからない、フツーとはぜんぜん違う感受性をもった、あの人たち」という理屈になってしまわないでしょうか。

 でも、そうではありません。語りはじめた体験者は昨日までと同じその人です(2)。別人になったわけではありません。

 「でも、どうやって話しかけたらいいの?」と困ってしまうでしょうか。「尋ねていいですか?」の一言で、ぜんぜん違ってくると思います。使ってほしくない言葉も、勉強するか、教えてもらうのが一番。

 「その言葉は使ってほしくない」は、あなたを非難することでも、嫌いになったことでもありません。誰だって、友達や同僚の気持ちを傷つけたくありません。それをわかってくれる人だとあなたを信じて、語りはじめているのです。あなたの一言にただただ傷つく弱い受動的な存在、ではないのです。

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ノーツ

 (1) 敏感になる言葉
 誰にもあるものです。それを「こだわりがあるからつきあいにくい」と考えるのはよくないことです。
 たいていの人間関係は、それに配慮しあいながら、できています。もちろん、みんながいつも十分そうできる、というわけではありません。でも、そうしようとするのとしないのとでは、大違いです。これは「自戒」をこめつつ。→本文へ

 (2) 親しさと当惑
 親しくなっていく過程は、親しさを感じ始めた最初の時とは違う人に相手が見えてくる過程でもあります。親しくなると、人間は、最初の頃は伏せていたことや他人の前では言わないようなことを、打ち明けはじめたりするからです。
 これは一般的に言って、当惑の原因になりえるでしょう。そこで相手の性格が「自分とは合わない」とわかる、という場合もあるでしょう。そのとき親しさは冷却していくことになります。
 「傷つけたらどうしよう」という思いは、自分が知らなかった相手の側面が見え始めても、それでも友好的でありたいと願う気持ち、だと思います。だとするなら、冷却するのではなく、打ち明けてくれたことを「ありがたい」と受け止めて、相手をもっとよく理解するようにしたいものです。これももちろん、「自戒」をこめつつ。→本文へ

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