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報道における「色覚障害」 2

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2.「色覚異常」と「色覚障害」と「色覚特性」
2-1.中間伝言板: 「正解」探しではなく

 しっかりしたポリシーを持って使おうと努めても、言葉には一長一短がある場合が往々にしてある。思い悩むことが多い。
 しかし、その思い悩みがあるかどうか。それが大切なのではないか、とも思う。

 こう書けばあれが欠け、ああ書くとこれが抜ける。すべてつめこんだらまとまらない。手で水をすくおうとするときのように、言葉は、何かを汲み上げ、言い当てるけれども、何かがこぼれ、何かについて言えなくなる。
 もともとそういうものだとしたら、私たちがすべきなのは、いまこの言葉を使ってはいるけれど、それは何をどう運んでいるだろう、どこへどう伝わっているだろう、ああ言えばどうか、こう言えばどうなるか、と、できるかぎり思慮深くあろうとすることであるにちがいない。

 私の場合、「色覚少数者」を採っているのだが、これだと、その少数者たちが持つ色覚特性を言い表す言葉がなくなってしまう。それで「色弱」という言葉も使っているのだが、そうすると複数の用語が発生してしまうので、よろしくない。

 また、私はこれまで「色覚異常」「色覚障害」はできるだけ避け、とくに「色覚障害」は歴史的・引用的使用に限ろうとしてきた(「障害学」を参考にすることはあっても)。
 だが、「色覚異常」を避ける点では同じでも「色覚障害」に独自のポリシーを込めて用いた人々もある。他方、いろいろな言葉が乱立してしまうよりはと、医学用語「色覚異常」を必要悪ながら採用する人々もある。
 それぞれ、考えをめぐらせたうえのもので、自分のポリシーと異なるからといって、やみくもに否定してかかるべきではない、と自戒したい。

 といって、漫然と「すべて相対的だ」等と言いたいわけではない。その一長一短に、どんな利害得失があるか、ありうるか、吟味すべきだろう。
 もちろん、そうしたとしても、言葉にはかぎりがある。他に言いようがないかもしれない。また、どの言葉をベターだとするかは難しい判断となり、意見が分かれ、すぐさまベストな回答に至りつけるわけでもないかもしれない。が、しかし、これを踏まえるのと踏まえないのとでは、言葉に対する注意力、自分のポリシーの自覚やそれに対する内省力が、大きく異なってくるにちがいない。
 そういうことなしに言葉の「言い換え」をしても、何も変わらないのではないか。

 さて、そのとき重要なのは、言葉を単独で(つまり単語で)見ないことだろう。
 一般に、言葉は、他の言葉との関係、それもネットワークとか星座のように複雑な布置連関のなかにある(3)
 使われる環境や文脈によって、その言葉が他のどんな言葉とどのように関連するかが異なり、使用者の意図と異なる効果を持ってしまうことがある。
 しかも、それが時の推移とともに変化し、最初はそれほど違和感がなかったものでも、いつしかおさまりが悪くなってしまったり、その逆だったりする。
 ある言葉が、差別助長的であるか、それとも理解を促すものであるかも、このような関係性のなかにあることが多いにちがいない。

 たとえば、「色覚異常」から「色覚に異常がある人」「色覚異常の人」などの言い方ができるのはまだ許容できるとしても、それが「色覚異常者」となり、さらに「異常者」で片づける人がたくさん出てきてしまったら、当初は「色覚異常」を使用しようとしていた人も、それと無関係に過ごすことはできなくなるだろう。
 同様に、「色覚障害」や「色覚障害者」は、それがどのように定義されたり説明されたりするかという問題と同時に、世間で「障害」「障害者」がどのように語られ論じられているかと、連動せざるをえない。
 「色弱」を選ぶためには、かつての「色盲」が廃されていなければならない。と同時に、「弱者」とつながることになりうる。それがどんな意味なのか。

 こうした意図せざる効果を、できるかぎり、ぎりぎりまで読んだうえでのポリシーでも、その次第、「賭け」としての性質を払拭できないことになる。

 −−このようなわけだから、ここでも、どの言葉が良いのか悪いのか、その言葉それ自体のニュアンスをさぐって正解探しをし、この言葉を使ってさえいれば万事OKといった結論を導こうとしているのではない。

 その言葉がどのように定義され、説明されるか。その言葉によって何がどのように描写されるか。それはもちろん重要だ。
 しかし、加えて、その定義・説明・描写が、いかなる社会的背景の中にあって、いかなる論理を形づくっているか、その論理が他の言葉のそれとどのような相互関係をかたちづくるかが、重要であろう。

 それは葛藤やきしみに満ちた過程だ。
 その葛藤やきしみが、使用者にポリシーを強い、あるいは思い悩みを課すこともあるし、言葉が入れ替わってゆく潮目や節目における議論となって現れる場合もある。かと思えば、表面的には姿を現さないこともある。

 以下、やはり記事に見る限りという前提=限定のもとでだが、単に頻度ではなく、言葉の意味なり効果について、このような観点から見てゆきたい。

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2-2.1997年以前の「色覚異常」と「差別」

 図1を再掲しておこう。
 『朝日新聞』において「色覚障害」が登場した記事の数の推移
 【図1】 『朝日新聞』における「色覚障害」出現記事の推移:1985-2015

 1998年に突然の突出があるのだった。
 まずはそのまえ、「1997年以前」を確認してみよう。ヒットした「色覚障害」登場記事は14。「見出し」、または特徴的な「本文」は、次のようになる(「見出し」も全文ではなく抜粋のものがある)。

 【事例集1】 1997年以前の「色覚障害」:「見出し」ないし「本文」抜粋
1: 1986年5月23日付、「色覚障害者の入試制限、62年から緩和 国大協」
2: 1986年6月7日付、「高柳泰世さん 色覚障害者の差別解消を訴える眼科医」
3: 1987年1月23日付、「色覚障害者の入学制限、国立大なお4分の1」
4: 1987年4月17日付、「色覚障害に冷たい企業 「採用せず」1割も」
5: 1987年4月20日付、「色覚差別 大半は職業・生活に支障ない」
6: 1991年3月10日付、本文「船乗りになりたかったが、色覚障害であきらめた」
7: 1991年11月13日付、「色覚障害者の入学、「強度」も認めます」
8: 1992年2月4日付、「高柳泰世さん 色覚差別改善へ尽力」
9: 1992年2月5日付、「眼科医・高柳泰世さん 色覚差別撤廃」
10: 1993年4月16日付、「色覚障害、制限緩めて 運輸省令改正で小型船舶免許」
11: 1993年7月18日付、「就職差別はエイズだけか」
12: 1993年12月9日付、「「色覚」条項を削除 姫路市営バス運転者採用試験」
13: 1995年12月8日付、「赤が緑、緑が赤」 色覚障害を例に発言 県議会で」
14: 1997年2月26日付、「色覚検査をゲームに 障害者側「差別撤廃に逆行」」

 この10年間にわたる14記事のうち、8と9は、ほぼ同一の記事の名古屋版と東京版の重複カウントなので、実質13。
 その13例中、8例までが「差別」ないし「制限」を含んでいる(1・2・3・5・8・10・11・14)。その言葉が出て来なくても、ほぼすべての記事がその内容だと言ってよい(問題の改善例や改善への尽力の報告も含んで)。

 それだけ「色覚障害」は負の烙印だったことになる。

 多くの色覚関連記事を書いた編集委員の田辺功は、ある記事でその「レッテル」について次のように書いた。

 【引用】
 今の日本で、「色覚障害」「色覚異常」のレッテルをはられるのは、大変なことである。学校では何度となく屈辱感を味わい、希望の大学や職業をあきらめなければならないこともある。(1987年4月20日付)

 もっとも、当該の色覚特性を有する人々を指して、「障害者」が用いられた例もある。たとえば、1997年2月26日付、大手ゲーム機メーカーが色覚検査表を模したゲームをつくったことに対して、「障害者側」が抗議した、といった用例がそれである。
 当時、「色盲」はもう廃れてきていて、「色盲者」という表現はない。といって、「色弱」が総称として成立しているわけでもないので、「色弱者」という言い方もない。「色覚異常」を用いて「色覚異常者」と呼べば「異常者」が発生してしまう。そこで「色覚障害者」が用いられる、というわけだろう。種々の制限が正当化できるほどの「障害ではない」と訴えていた当事者の言葉が引用されるときも、その人々は「色覚障害者」と呼ばれたりもした。

 ところで、「色覚障害」とはどんな障害なのだろうか。説明したものは実はあまりない。ほぼ同時期の記事に現れる「色覚異常」についての説明を見てみると、およそ次のようになる(網羅的ではない)。

 【説明例1】 「色覚異常」:1985-1995
1: 1986年2月17日付、「遺伝的に色の見え方が違う」。
2: 1986年9月2日付、「リトマス試験紙が何色かの識別に苦しんだり」。
3: 1987年1月23日付、「特定の色が見えにくい」。
4: 1987年4月20日付、「人によって違うが、大半は、同じような明度の色が並んだ場合、赤と緑の区別がつきにくい程度で、生活上の問題はない」。
5: 1989年5月28日付、「色の区別がつきにくい」。
6: 1990年9月28日付、「赤色盲とされる人は正常な人より赤い色を暗くみており・・・緑も同じ。例えば緑の草原で赤い花を探すとして、普通の人より見つけにくいかもしれないが、注意して見ればちゃんと見つけられる」。
7: 1994年1月3日付、「そのほとんどは、日常生活では何の不便もない・・・特殊な色の組み合わせが見分けにくいだけで、たいていは明度差で区別できる」。
8: 1994年5月19日付、「色の見え方が遺伝的にやや違う」。
9: 1994年6月9日付、「大半の人は赤、または緑の感じ方が鈍いため、色の組み合わせによっては見えにくい色があるといった程度なのだ」。
10: 1995年1月22日付、「「異常」というより、色の見え方の個人差に近く、大半は不便を感じない」。
11: 1995年5月22日付、「色が違って見える、色が見分けにくい」。

 これらの描写から受ける印象の第一は、抽象的だ、ということであろう。

 「特定の色が見えにくい」のように、何色と何色が混同されがちなのか不明なものが7件、半数以上である(1・3・5・7・8・10・11)。
 「赤と緑」のように色名があげられてはいるものが4件、しかし、どんな緑と赤なのか、そのどんな状況なのか、具体物が挙げられているのは、リトマス試験紙の2と、仮定的な例示の「緑の草原で赤い花を探すとして」の6のみである。
 検索期間の直前を見れば、1984年10月21日の「教科書の図 色覚異常の子どもにも見やすく」という見出しの記事で、「緑色の日本列島上に、ミカンなどの産地や生産高がだいだい色などで重ねられた図」とか「赤、緑、黄三色のテープを書き、「緑色のテープは?」と長さをたずねる問題」が挙げられている。
 二つの具体例の共通項は、学校教育上の配慮という観点から選ばれているという点であろう。

 叙述例からさらに公約数的な要素を抜き出せば、次のようになろうか。

 ・遺伝による見え方の違いであること
 ・特定の色(赤と緑)の特殊な組み合わせの区別がつきにくいこと
 ・日常生活にさしたる支障はないこと

 こういった抽象的な説明が、なぜ支配的なものとなるのだろうか。
 私に浮かぶ仮説は次の三つである。

 1)大した問題となるシーンはそれほどなかった。

 2)このくらいしか説明がなされていなかった。

 3)大した問題であるとの想像に対する注釈であった。

 この第二の仮説については、私の個人史的経験を重ねることができる。つまり、上の記事に見られる抽象的な説明は、私が学童期に「色弱」について有していた知識と、ほぼ一致する。私は、高校まで繰り返し色覚検査を受けたが、これ以上に詳しい説明に接したことがない。検査の結果についての説明は「皆無」に近かったと記憶する。私は、自分が諸対象の何と何とを区別しがたいことがありうるのか、知らなかった。
 もとより自分の体験だけから全体を推し測るようなわけにはゆくまいが、積極的に知ろうとしない限り、その程度の説明しかなされていなかったのが普通だったのではないか、と私は臆測している。
 少なくともこのたびの検索結果にしたがう限り、その印象を覆す材料は少ない、と言えるだろう。

 のち、2000年代に、これが一変することになる。そして、そうすると、第一、第二の仮説についても、考慮すべきことが生じる。

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2-3.結節点@: 1998年、「色覚障害」と「色覚特性」

 「色覚障害」の1998年の突出について見てみよう。

 その10例のうち、5例は、色弱当事者でもある九鬼伸夫による連載エッセイである。のち、連載名と同じ題名の単行本『記者のち医者ときどき患者』(九鬼 1999)に収められている。
 同年の10例には地方面の4例も含まれているが、これは同一事実を四国の各県版が報じたために4となったもので、実質は1と見て良いだろう。
 だから、1998年のこの突出は、ほぼ九鬼によるものである。

 その九鬼の「色覚障害」使用は、負の烙印だったものを積極的に転用しようとする意図を持ったものだった。

 【引用】
 「色覚障害」という言葉を用いてきたが、実は一般的ではない。「色覚異常」という言葉が一般的で、眼科学の教科書も「色覚異常」を用いている。私は「異常」という言葉には粗暴なものを感じ、不快だ。
 「障害」にも不快を感じる人はいるだろう。でも私は「みんな障害者」と考えて積極的にこの言葉を使ってしまったほうが、みんなが生きやすい世界につながるような気がする。「色覚異常」を「色覚特性」と言い換える動きがある、としばらく前の本紙が報じていた。「色覚障害」でいいではないか、と思うのだ。(1998年11月16日付)

 ただちに分かるのは次のことである。

 ・この場合の「色覚障害」は従来の「色覚異常」に対する代案であった。

 ・「色覚異常」の代案としての「色覚特性」に対する競合案でもあった。

 幼い頃、九鬼は某総合病院の眼科診療室で色覚検査を受けた。医師はうしろで控えていた母親に向かってこう言った。「ほらね、でたらめでしょ」。
 九鬼はその経験を振り返って次のように述べる。「この時の、屈辱感と憤りが身体の中で爆発するような感覚を、私は今も生々しく思い出すことができる。母の返事の声が、涙でつまっていたことも……[略]……医者のことばが、どれほど簡単に人に深い傷を負わせるか、自戒したいのだ」(1998年12月7日付)。

 医者が「でたらめ」とか「異常」という言葉を平気で使えるのは、それが我が事ではないからだ。そうではなく、「医者ときどき患者」のように「医療者に一定のハンディキャップがあることが、(望ましい)資質のひとつ」だろう。なんとなれば、「自分自身、あるいは家族がその病気の患者であるような医師からは、他の医師からは聴けないような、患者の琴線に触れる言葉を聞けることが多い」からである(1998年11月16日)。

 九鬼にしたがうなら、完璧な身体を持つ人など、どこにもいはしない。皆にそれぞれ弱点がある。その意味で「みんな障害者」だ。そう考えて「困難や弱点に苦しむ人に共感する能力」をはぐくみたい(1998年11月30日付)。だから「積極的にこの言葉を使ってしまったほうが、みんなが生きやすい世界につながる」(上記引用)。

 つまり、九鬼における「色覚障害者」使用は、いわば健常者/障害者という二分法を解消し、配慮の普遍化をねらいとするものであった。言い換えると、

 ・「色覚障害」は、配慮を求めるため、あるいはその求めを普遍化するための用語として、使用され始めた

 ただしこの場合の配慮とは、「患者の琴線に触れる言葉」のように、対面上の気配りという意味であった。

 他方、「色覚特性」は、色覚差別の撤廃を強力に牽引した高柳泰世が「色覚異常」に代えるべきものとして提出した案であった。

 【引用】
 大学入試や教員採用、入社試験・・・色覚異常者は長年、社会の入り口で選択を制限されてきた。学校保健医としての高柳さんは、この二十年、その撤廃に全力投球してきた。その結果、国公私立四百六十六校のうち「制限あり」は国立、私立各二校だけに。強制的な色覚検査は、昨春から小学校四年生の一回になった。
 「人間がもつ能力は計り知れない」ということを、開業医生活の中で患者から学んだ……[略]……
 いま痛感しているのは、「色覚異常」という呼び名の変更。「『色覚異常』と書くたびに胸が痛む。本当は異常ではないのですから」。自作の案は「色覚特異性」あるいは「色覚特性」。「もっといい呼び名はないでしょうか」。(1996年6月13日付)

 この引用から読み取りうるのは次のことである。

 ・「色覚特性」は「色覚異常」への代案であった。

 ・「色覚特性」は、進学と就職という「社会の入り口」に設けられた制度上のバリアの除去を求める尽力から生まれた言葉であった

 進路上の制限を撤廃する訴えは、しばしば、障害者に対する差別の指弾という枠組で報じられていた。しかし、その内容は、上記のように、さしたる障害ではないのだから、というものだった。もっとも、高柳は障害の重い軽いで社会的処遇を分けるべきだと言っているのではなく、えてして「できない」で枠づけられてしまう「障害者」観がいかに人の「能力」を一面的に見てしまっているかについて、異議を申し立てているのであった。
 となると、「障害」はここでは座りが悪いことになる。

 同じ時期、1996年に「日本色覚差別撤廃の会」が発行した書物の題名も、『色覚異常は障害ではない』だった。「障害ではない」という言い方で、大した支障があるかのように思われていた十把一絡げの偏見を排し、そのことで進路制限の除去を訴える必要があったわけである。

 もっとも、「障害ではない」としたら、論題にしている特性を総称する言葉としては、当時、「色盲」「色盲・色弱」か「色覚異常」しかない。そして「色盲」を避けるとしたら「色覚異常」を採用するほかなかった。
 「色覚偏位」「色覚特異性」といった言葉も考案されてはいたが、広まらなかった。

 ここに、「色覚異常」「色覚特性」「色覚障害」の三つ巴が発生することになる。これについて、以下、すこし子細に考えてみよう。

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2-4.得られるものと失うもの

 「色覚特性」が訴える一律の進路制限の撤廃と、「色覚障害」が意図していた配慮も、どちらも必要なものであるにちがいない。前者は否定的なものの否定、後者は肯定的なものの肯定であって、対立関係にはないように思われる。
 それがなぜ対立することになるのだろうか。

 もちろん、個々人が「異常」と「障害」のどちらにより大きな違和感を感じるか、また、特定の時代・社会で通用している「異常」と「障害」のどちらにより強い負性が見られるか、という問題はあろう。
 けれども、語感の問題に加えて、論理的な含意や帰結、その実際的効果がここに賭けられていたのではないかと思われる。

 「色覚異常は障害ではない」という論理によって進路制限を「差別」だと告発するなら、その「異常」は、健常/障害の二分法における「障害」ではなく「健常」内部の差異である理屈になる。その意味で「本当は異常ではない」(上記引用の高柳)。色覚の「障害」といっても、それは、専門家による誤診や臆断によって「つくられた障害」にほかならない(高柳 1996)。

 これに対して、九鬼の場合、いわゆる「健常」側にも多かれ少なかれ何らかの「障害」が存在し、みんながなんらかの障害当事者でありうる。いわば、障害の側から二分法が溶解させられるべきことになる。
 とすれば、色覚の場合に即していえば、共感されるべき受苦、配慮されるべき「ハンディキャップ」が、そこにある、ということになる。

 両者をさらに比較しながらまとめれば、次のようになろうか。

 「色覚特性」は「進路制限の撤廃」を唱える尽力から生まれた言葉である。
 しかし、「障害ではない」「本当は異常ではない」という論理は、健常/障害、正常/異常という通常の二分法に置かれた場合、色覚少数者の健常者化を含意しかねない。つまり、「実は支障はなかったのだ」という理解を発生させ、進路制限の撤廃は訴えやすくなるが、そのかわり、世間に非言及と無顧慮を生み出す危険をはらんでいるともいえる。

 「色覚障害」は、「配慮」を求めるために用いられた。
 しかし、「障害」は「健常」とそれとを切り離す二分法の用語そのものでもある。その切り離し効果によって、「大した支障がある」と想像させ、配慮とは特別な困難を抱えた人々に対してする思いやりという含意を発生させたり、「やむをえない制限」という論理をも再び呼び出したりしかねない危険をはらんでいるだろう。
 制度上の進路制限といったハードな危険に比すれば、この場合の配慮は、心ある言葉遣いのようなソフトな気配りにとどまっているように見える。悪くすれば、差別や偏見を放置したうえでの同情になりかねない。少なくとも当時、「色覚障害」の使用はまだまだ危険のほうがはるかに大きかったと言えるのではないか。
 九鬼みずから紹介しているように「色覚障害」に強い違和感が寄せられたことや、報道においても「色覚障害」がすぐには普及しなかったことも、そうすると理解できるものとなる。

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2-5.「色覚異常」への挟撃

 「色覚異常」は、この「色覚特性」「色覚障害」の競合・葛藤の他面、共通して忌避すべき言葉となった。

 1998年、名古屋市教育委員会は「色覚異常」の使用をやめ、「色覚特性」に変更した(1998年7月6日付)。

 しかし、色覚の差異を認める用語として「特性」は弱かろう。差異を表現するとしても、特定部類の人々のみが「特性」を持つなら、それ以外の人の色覚には個体差がない含意となり、「みなに共通」と「それ以外の特性」という強固な二分法が発生しかねない。さりとて「異常」には戻れない。としたら、この時点で残っている他の選択肢は「色覚障害」しかなくなっていたことになる。

 2003年、ある投書は「障害」を選んだ。色覚差別撤廃の会の活動に敬意を表しながら、同会が「色覚異常」という言葉を用いていることへの批判であった。

 【引用】
 異常という言葉は、異常気象、異常人格、異常事態などのように「ふつうでないこと」や「正常でないこと」だけではなく、「困ったもの」「是正もしくは排除すべきもの」との意味合いを含んでいる。
 これは私が主観的に感じるものではなく、例えば手元の岩波国語辞典(第6版)には、「普通またはいつもと違って、どこかくるっていること」と、驚くような説明が加えられていることからも明らかである。こういう意味を含んだ言葉を色覚障害者に使うことこそ「異常」であり、それにぜひ気が付いてほしいと思うものである。
 色覚障害も手や足などの障害と同じように、身体機能の障害の一つであるはずなのに、どうして色覚障害者だけが「異常」の名で呼ばれなければならないのだろうか。(2003年9月28日付)

 もちろん、それは同時に、眼科的用語としての「色覚異常」への異議申し立てでもあっただろう。従来の眼科的パラダイムへの異議申し立てが「色覚異常」を共有してしまっていたことへの違和感があったのかもしれない。

 この投書が「障害」を選択できた背景には、「障害」という言葉じたい、もはや差別と制限の代名詞ではなく、配慮と改革のキャッチフレーズとして変化した、という時代背景があるように思われる。

 また、「色覚異常は障害ではない」と述べるなら、「障害ではない」方に分類された自分たちは良くても、では「障害」ならば種々の制限もやむをえないことになるのか、という問いが少なくとも潜在的に発生するだろう。そのことへの応答でもあったかもしれない。

 とすれば、2003年−−まさに上の投書の年−−に、「色覚障害」が一気に増加したことは、もう一つの大きな結節点だったのかもしれない。
 これについては引き続き次節で見てみよう。

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2-6.「色覚特性」のその後

 なお、「色覚特性」は普及しなかった。検索結果は、紹介・解説や引用を含めて12例であった。1996年に始めて新聞に登場し、2013年まで見ることができるが、しかし2004年までに9例を見たあとはぷっつりと途絶え、次は2013年になる。2013年の3例うち1例は、色覚検査再開にまつわる議論を紹介する記事で(2013年10月8日)、「異常」の表記を改める動きに触れた久しぶりの解説であった。
 しかし、「自身の色覚特性の理解」のように、あらゆる人にあてはまるような用例ならともあれ、「色覚特性とされてきた人」(2013年4月5日付、地方面本文)といった表現になると、議論的文脈が忘却されてしまうといかにもわかりづらく、ぎこちない言い換えとの印象さえ発生していよう(4)

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(3) こんなたとえ話がある。言葉と社会生活について考えている人には多く受け入れられている(だから下に引用する著者でなくてもよい)ものだと思うが……
 私がボールを投げたとする。どんなボールでもよいのだが、まぁ、子どもが遊びに使うような掌サイズのゴムボールだとしよう。
 私の投じたそのボールを、少し離れたところで待ち受け、バウンドする前にバットで打とうとする人がいれば、私のその動作は野球のピッチングだったことになる。ワンバウンドの後にラケットで打ち返す人があれば、それはテニスのレシーブ練習かもしれない。逃げ出す人があれば暴力だったことになる。
 「まったく同様に、ある単語の機能はその単語がプレーしているチームの他のメンバーの機能と連動している」(ギルバート=ライル著『ジレンマ』より)。
 この引用中の「チーム」は、一緒に行動している小集団やサークルよりも広く、社会的になされている議論、という意味に解してよいだろう。つまり、ある人の用いる言葉の意味は、その人がそれをどう定義するか、その言葉で何をどのように描写するか、だけでは決まらない。むしろ、それを超えて、他のどんな説明や叙述とどんな関係をつくりあげてしまうかが、重要な問題なのである。
 「受け止める人しだい」といった月並みなことを言おうとしているのではない。受け手のその解釈も、同じく社会的な布置連関のもとに置かれているのだから。→本文へ

(4)私見ではあるが、「色覚特性」は、検査項目名や、万人が持つ色覚の個体差を表現するには向いているのではないかと思う。
 私はそのように「あらゆる人が持つ色覚の個性」という意味で「色覚特性」を用いている。厳密に言えばすべての人の色覚は互いに異なっているのだろう。また、同一人物をとってみても、幼児期と老齢期では異なる「色覚特性」があるにちがいない。→本文へ

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■ 2016年9月24日版 ■2017年3月30日部分修正

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