私のその作文(1980年)を見てみましょう。
【引用】
病気はなった者にしかわからないというが、これは本当である。病気の苦しみなどは、なった者にしかわからないだろうし、それでも特に重くなかった時などは回復すると忘れてしまう。また健康な者は病気に対して著しい無関心を示し、とんでもない偏見を持ったりすることがある。
特に色弱、色盲のような遺伝病ではそうである。生まれついた時点に、そういう遺伝子を受けついでいなければ一生これに悩まされる心配はないのであるから、当然のことであろう。 ……[略]……
しかし、病気に対して偏見や先入観を持つのは決して良いことではない。患者に対して非常に気の毒なことを言ったりすることもあろうし、病気に対する偏見が患者に対する偏見に変身する可能性も十分あるからである。……[略]……
私は小学校2−3年生の頃から、あなたは色弱ですよと、指摘されていた。 ……[略]……
中学生になって、友人との話題に色盲のことがでてきて、そのとき、実はぼく色弱なんだと話したことがある。すると、その友人は(もちろん正常な目をもっていたのだが)その目を大きく開いて言ったのである。
「へえ、じゃあ、お前、信号(1)、どうやって見るんだ。ああ、あれはランプ(2)の左右でわかるのか。じゃあ」。この鉛筆は何色に見える。この下敷きはどうだ。あの黒板はと、次々に聞くのである。
ここではっきりしておくが、色弱とは、ある色が全く見えないとか、別の色に見えるとかいうのではなくて、ある特定の色が普通の人よりわずかに薄く見えたり、ある特定の色(たとえば赤と緑とか)が並んでいると、そのコントラストが、普通の人よりはっきりしなかったりするだけのことなのだ。色盲も、特にひどいものでない限り、大同小異である。日常の生活に支障(3)をきたすようなことはまずない。……[略]……
似たようなことは他の病気にもあるのではないだろうか。そして、患者の心を傷つけることもあるかも知れない。また気が滅入りがちな病人にとって他人が自分の病気について何にもわかってくれていないと思うだけで、寂しくなるものではないだろうか。
色弱は、一言で言えば、色盲の軽いものである。それでも、先生から進路指導では工学・医学・薬学・美術などの大学には行くなと言われた。……[略]……こんな軽い病気でさえ、これだけ進路が限定されてくるのである。身体障害や、重く長い、時には不治の病をお持ちの方々の苦労は、おもんばかってあまりあるものであろう。
全く病気は本人にしかわからぬものなのである。だから健康な人がそれを完全に理解するのは無理だろうし、医者でもない人がそれに無関心になるのも、いたしかたない。が、何とか病気に対する偏見・先入観だけは、取り除いていきたいものである。