夕闇迫れば
All cats in the dark
■ 團伊玖磨の「パイプのけむり」をめぐる三つのエッセイ ■
「ある」ことと「つくられた」こと: 「微温湯」評
本稿は次のようにして成立している。1.まず本サイトにおいて 2007年から2008年にかけて原型が書かれた。
2.それに修正・削除・加筆をほどこした稿が文献リストに掲げる論文(徳川 2009)として出版された。
3.それをもとにしてさらなる加筆・修正をおこない、再編したものが本稿である。
1 改革か隠蔽か
團の怒り
1994年の末に著された團の小品「微温湯」は、これまで見てきた彼の作品のなかでは、社会問題としての色覚差別について、最も直截に言及したものである。
1994年12月、色覚の一斉検査が見直されることになった。すなわち、検査をこれからは小4時の1回だけにし、担任の教師が教室でおこなっていたのを個室で養護教員がおこなうことに。この改訂の理由が、「子どものプライバシーへの十分な配慮」と報道された。
この改訂を團は「微温湯」だと非難するのである。
いや、改革のやり方が「ぬるま湯」で不徹底だから、もっと改革しなければいけない、というのではない。端的に言い直せば、この改革は当事者を甘やかす「ぬるま湯」だから、改革しないほうがよい、というのである。
そのあらすじは、次のようになるだろうか。番号は私が付けたものである。
(1)「色覚異常」は「僕が一生苦しみもし、その対応に苦慮もし、耐えもし、打ち克っても来た」ところの「身体的欠陥」である(256頁)。
↓
(2)だから「色覚の正・異常」は「一日も早く」「発見」し、「自他共に協力して、その措置を考えて行かねばならぬ」(256頁)。
↓
(3)なのに、これは「子供を恥ずかしい目に逢わせぬためにこそこそと個室の中で検査をするなどという、何の解決にも繋がらぬ微温湯的な措置」にほかならない(258頁)。
團にとり、「プライバシー」とは、恥ずかしいので他人に見られたくないという感情を指し、「個室」は「こそこそと」隠れることを意味した。だから、今回のニュースに対する反応は、「とてもとても、恥ずかしいとか、隠せばどうにかなるといった事柄では無い」ということになる(256頁)。つまり、團が批判しているのは、10年前に小品「土人」で色覚問題に言及した時と同じく、かわいそうだから触れないでおこうといわんばかりの“心やさしい”差別批判にほかならない。
確かに、これは個人情報の問題以上に社会的選別の問題である。単に「プライバシー」の問題として処理されるのでは困る。だが、その選別の根拠となっていた検査を緩和するのであるから、これは選別の緩和にもつながるものだと期待できるだろう。ところが、どうも團には社会制度上のバリアを除去する動きがおしなべて温情主義的隠蔽であるように見えているらしいのだ。
同じ語調で團は、これまで色盲・色弱の当事者が「自らのハンディキャップを秘し隠して来た」ことを論難する。その消極的な姿勢が「自らを弱者の立ち場に追い込み、色盲・色弱者に対する正しい理解と措置を社会が育む事を阻害し、遅らせてきた」という(258頁)。つまり、今回の改訂で当事者たちもやはり隠蔽の簑に自身を隠そうとしているのか、というのである。
本稿のねらい
こうした團の批判は、問題的な社会の現状に対する批判を欠いたまま、当事者の弱気を責め立てているように見える。團の「強気」こそ社会の冷たい構造を放置するものではないだろうか。数多くの当事者が理不尽を感じながらも一方的に継続されてきた一斉検査とそれによる選別の時代が、とうとう終わろうというのである。これに画期的な意義を認めてよいと私は思う。
また、團のこの指摘は事実の誤認を含んでもいよう。隠蔽とは逆に、「日本色覚差別撤廃の会」が1994年12月にたちあがり、同月23日には第1回総会を開いているからである。
しかし、今までと同様、ここで團の意図や誤認を論難しようというのではない。ここでのねらいは、團の主題に対する評という形を借りて、それを組み立て直してみれば、かれの立つ地平(1)からはなぜ事態がそのように見えるのか、その意義は何か、そして他の地平に立ってみたらどんな眺望が得られるか、考えてみることである。つまり、異なる地平ごとの眺望と、そこで得られる教訓を、比較してみることである。
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2 内在する「異常」
本質論
團の論にとって、色盲・色弱(2)は、それ自身として存在するものであり、いわば独立変数である。つまり彼の論は、身体のなかには「異常」や「欠陥」が内在的に存しており、その「正・異常」は検査によって「発見」することができる、との論理を前提としている。作品中にあらわれる「色覚異常」とか「身体的欠陥」という言葉も、そんな論理を示している。――これを本質論の地平と呼んでおこう。
(難しく響くかもしれないが、本質とはなにかといった難しい話題にひっぱりこむための言葉ではない。こうした「考え方」に「名前」をつけて整頓しやすくするためのものだ、という程度に考えていただきたい)。
確かに團はこの作品で他方に「社会問題」という用語も使っている。しかし、それは、社会が問題をつくりだすことを指してはいない。そうではなく、その「社会問題」とは、「異常」や「欠陥」を持った問題的な個人が、その事実を公表し、「自他共に協力して、その措置を考えて」ゆくべきこと、という語義での「対社会的問題」にほかならない(256頁)。
解決の方途: 措置
その「措置」とは何か、考えてみよう。身体のうちに「正・異常」の境界線が存在している、とする本質論の見地からすれば、その境界線に沿って社会的境界線を引いてやることが、医療や福祉の役割であり、唯一の解決策であることになる。つまり、一般化して言えば、病気だから学校を休んで病院に行く、障害者だから施設で暮らすことにする、といった処遇を、世間や当人に納得させること、つまり社会的に正当化することである。
團の言葉にもどれば、「異常」や「欠陥」を持つ人がおこなうべきことは、この措置を受け入れるべく、あるいは、その措置を前提として自己の人生を切り開くべく、「自制と熟考」をおこなうことである(256頁)(3)。
この地平において、自然な境界線と社会的境界線は一致している(しうる)はずだ、と想定されている。つまり、身体の状態と社会のなかで生活してゆくちから(行為能力)は、同一視されている。言い直せば、この地平に立つ限り、「インペアメント」(身体の損傷や病そのもの)と「ディスアビリティ」(それでなにができるか/できないか)を識別することはできない(Oliver 1990=2006: 34)(4)。
だから、色覚検査の結果に示される色覚特性がすなわち「障害(disability)」なのだ、と見なされ、それゆえ、その検査結果をもって、特定分野への進学や就職が制限されることになるわけである。
なんのための?
この地平からすれば、「異常」や「欠陥」についての検査をやめるということは、すなわちそれらの社会的認知をなくし、「措置」もなくすことを意味するだろう。團が「何の解決にもなる筈の無い」と論難しているのは、そういう意味にもとづいてのことであるにちがいない。
だが、この地平は、ひとり團のものではなく、世間の障害観や難病観にも浸透したものであろう。だとしたら、團の論難も確かにひとつの事実を言い当てていることになる。
つまり、こういうことである。改訂の意図は別のところにあったとしても、それを実行する現場は、この地平で行動するのではないか。とすれば、現場が検査や制限を緩和するとしても、それは行政の指導に従っただけのことであり、なんのための改訂なのか理解がすすんだわけではなく、それゆえ、環境整備の努力をするわけでもない、といった事態が発生する公算がある、と。
1992年度、国立大学の教育学部・農学部・理学物のすべてで、入学条件から色覚の項目が外された。翌1993年度、79の大学医学部が色覚異常を理由にした制限を撤廃した。冒頭の検査緩和はそのうえでのことだった。ところで、これらの大学・学部では、部内の色彩環境の改善について議論がなされたのであろうか。検査をしていても「緑板に赤チョーク」や「緑の平野に赤い都市の地図」などが自明視されていたのに、検査がなくなったとき学校はみずから改革に動くことができるだろうか(5)。
この地平において、社会環境は与件である。バリア=フリーは、考えつかないことであるか、もしありうるとすれば、本質的な「欠陥」をもった人たちに対する特別な救済策である。だから、その「欠陥」の認知がなくなれば、対策の必要もまた認知されなくなるおそれがある。
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3.「つくられた障害」
構築論
一般に、検査の緩和や進学制限の撤廃がなされてから、カラー=バリア=フリーの提起までには、時間差があった。カラー=ユニバーサル=デザインまでにはさらにすこし時間がかかった。
それは、かつての用語法でいう色弱者である私も同様であった。私のその状態は、1996年に出版された衝撃的な書物、『つくられた障害「色盲」』(高柳 1996)を読んだあとも、強まりこそすれ、解消されなかった。どうしてだろう。
同書は、眼科医の著書としてはおそらく初めて、従来の色覚検査は色覚差別であると訴えたものである。そのいう「つくられた」とは、いわば一種の誤診を指す。すなわち、同著に従えば、従来の色覚検査は、「必要もないのに全員を検査して、わずかな特異性が検出されたからといって、あらずもがなの「異常者」をつくり出して」きた(高柳 1996: 23-4)。換言すれば、色盲・色弱とは、さしたる問題も確認できないのに、危険なはずだという憶測に導かれた研究者たちが描き出した「人工的障害」にほかならない(高柳 1996: 37)。
ではどうして色盲・色弱が重大な欠陥だとされたのだろうか。それは、そもそも色覚検査法の開発が軍からの依頼によっておこなわれ(6)、検査方法が徴兵検査の必要に応じるために「わずかな特異性」でも検出するように作られたものであるのに、これを学校保健法が無自覚に「一般社会の場にそのまま持ち込んだ」ためである。また、陸軍軍医監にして東大教授だった石原忍の「絶大な権力」「権威」によって、学会においても色覚検査批判がタブー化していたためである(高柳 1996: 36)。
これを先の本質論の地平と対比して構築論の地平と呼んでおこう。
解決の方途: ラベル解消
この構築論の地平にとって社会問題とは、問題の定義権をにぎった研究者たちによって実現・定着させられた検査と選別の制度である。つまり、問題であるのは、数多くの無問題の人々を問題視したこと、その「色盲」というラベル貼りである。
だから、それを解決する方策は、当の研究者たちによって広められた古い観念の誤謬を正すこと、一般社会の生活になじまない検査表による「烙印」「ラベル」を取り消すこと、進学・就職における「人権侵害もはなはだしい」「制限」を撤廃すること、であることになる(高柳 1996: 26,38-42)。
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4.早期告知論
なかったこと?
ここで架空の対談を試みてみよう。この問題提起に、團なら、なんと応答するであろうか。いや、思考実験のために、こう問うてもらうことにしよう。すなわち、かれが「図工の時間に、紅い薔薇を御納戸色に、葉を茶色に描いた事」(256頁)や、それ以来「一生苦しみもし、その対応に苦慮もし、耐えもし、打ち克っても来た」もの(256頁)は、幻影だったとでもいうのか、と。
つまり、「つくられた障害」の指摘は、色覚特性のちがいも「なかったこと」にし、生きられた経験における苦闘まで「実はなんでもなかった」とばかりに無意味化してしまうのではあるまいか。
この疑問にもうなずくべき点がある。『つくられた障害「色盲」』は、色盲・色弱との診断をいわば誤診と見なしておきながら、しかしその書は他方で「色覚異常」という言葉も採用しているからである。つまり同書は「先天的に欠陥がある」人がいることを認めてもいる。ただ、それは「人間全体の機構からいえば本当に大したことはない」ので、これを「障害」だと「解釈」してきたことが間違いだ、というのである(高柳 1996: 186)。
言い換えれば、境界線を引いたこと自体が誤診だったのではなく、境界線の引き方がまちがっていたのだ、という意味になる。
しかし、それほど「大したことはない」のであれば、やはり社会の色彩環境の改善という選択肢は浮かびづらいことになろう。社会環境の改善を訴えるほど、その趣旨とは矛盾して、色盲・色弱を本質的な「異常」「欠陥」として読者に印象づけてしまいかねないからである。
だから、同書が問題にするのは、まず、色覚を問題視する「社会的通念」(高柳 1996: 122)になる。だが、まさにそのことが、團が本質論の地平からみた事態、つまり問題を「通念」の問題に矮小化し、隠蔽してしまうことに、帰着してしまわないだろうか(7)。
早期告知論
團が論理必然的に採用している早期告知論は、事実上、このことを問いかけている。
團は、まだ色覚検査がおこなわれていなかった時代、小学1年生のとき(1930年頃だろうか)、授業で描いた絵の色使いについて、認識のない教師から「心のねじけた子供」という言葉をあびせられ、さらしものにされ、級友たちに笑われた。
團に従えば、検査が小4の時になったなら、入学してから3年間も色覚特性が把握できないことになる。そのとき理解のない教師にあたったら、「色覚異常の子供」が「一般の子供と同一の色覚を強制される」という事態が生じる。また、色盲・色弱について、「自他共に正しい知識が育たぬ儘時が経ってしまう」(257頁)。ゆえに、「一日も早く」、「幼稚園か小学校1年」の時点で、「色覚の正・異常」を「発見」し(256頁)、「正しい理解と措置を自他共に取る事の必要を知る事が大切だ」(257頁)。
私はこの早期告知論に与したくない。しかし、検査緩和と制度上のバリア撤廃が、当事者をますます少数者化し、しかも、かれらをそのままの世間にほうりだすことになっていなかったか、どうか。團の論は、その意図はともかくとしても、そう問うているとも解しうる。
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5.ノーマライゼーションの天地
ノーマライゼーション?
通常の市民生活から出ていかねばならないか、現状の社会環境に適応を迫られるか。色覚問題は、福祉国家が再生産してきたこの二分法を体現していたと言える。
類似の道筋で、ノーマライゼーションの提起が、それの要請する社会変革、つまり「ミスター=ノーマルしか許容しないアブノーマルな社会を、誰もが暮らしよいノーマルなものに変える努力」を伴わぬままに、「アブノーマルな人をそのままの社会に適応させること」に、転化していなかったか。
どうやって訴える?
社会制度上のバリアを撤廃し、それまで排除されていた人々を市民社会に受け容れるためには、私たちはたくさんの勉強をしなければいけないはずだ。團の早期告知論は、検査と告知には、そのような「自他共に協力して、その措置を考えて」(256頁)が前提としてあったはずだということを、思い起こさせてくれる。
だが、換言すれば、その前提が忘却されるとき、あるいは「措置」が一方的なものになるとき、検査と告知は排除・差別のメカニズムと化す、ということだろう。そして、これをふりはらうために検査と告知をなくせば、世間はかえって何も考えなくなり、社会は何もしなくなる。
早期告知の実際の姿は、どうだったであろう。全体を調べることなどできそうにない。だが、諸種の資料や読み物から察する限り、あるいは私の自己体験と比較する限り、團はまだ比較的に配慮ある教育を受けたほうではないか、とも言えそうだ。彼によれば、小学校2年生のときに出会った教師は、図工の時間になると、鉛筆画・木炭画・木工・竹細工のような課題を團に与えたというのである。
これに対して、私の経験した早期告知は、君は色弱なので工学・医学・薬学・美術・教育などの分野は志望しないほうがよいと告げられる、ただそれだけだった。将来の志望についての励ましや助言、学校教育上の見づらい配色についての改善案などは、一度も聞かされたことがない。色盲・色弱に理解のある教師には、ついぞ出会わなかった。
しかし、これは早期告知論の見地に立ったとしても本末転倒な事態であろう。だからこれは、色覚少数者にとって、「環境改善なくして検査なし、ケアなくして告知なし」と訴えるための根拠でもあった。ところが、その検査が無くなり、色盲・色弱がますます世間から「見えない存在」になったなら、その改革やケアをどうやって訴えてゆけばよいのだろうか。
表象の責任
「だって、なんでもなかったんでしょ?」と言われたなら、「いや、なんでもないことはない」と、再反駁しなければならなくなる。しかし、そうすると今度は、その支障を本質的な「異常」「欠陥」として浮き立たせる効果を同時にふりまいてしまうことにならないだろうか。
冒頭の検査緩和から10年余、マスメディアに登場した次のような描写は、その一つの帰結だったかもしれない。
「色弱の人」は「赤や緑が焦げ茶色に見えるなど見え方が異なる」。「左右で違う色の靴下を履いてしまった」とか「焼き肉を生で食べてしまった」など。そんな「色弱の人にも優しい」「色覚バリアフリー」の動きが「NPOなどの活動」によって「企業に広がっている」。「広告や商品の良さが伝わらないのでは困る」ためだ(『朝日新聞』2007年5月20日付)。
なるほど社会の色彩環境の改善が報じられてはいる。しかし、本質的な欠陥のために為すすべもない当事者と、かれらに対して「優しい」手をさしのべ始めたNPOや企業、という構図。
ここには、社会的に引かれた境界線の問題が忘却された地平上で論じられる改革がいかなるイメージのものになるかがよく表われていると、言えないだろうか。ひとりマスメディアの問題ではないと、私は思う。
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6.「つくられた」再考
再考された構築論
私たちはこうして本質化と虚構化のはさみうちに合う。
そこで、「つくられた」という言葉の意味を、もうひとつちがった地平からとらえなおしてみよう。
かつて「東京医科大学式検査表解説」(1957年)は、「色覚異常の程度」によって職業適性を分類した。その分類において「色覚異常」が「人命に係わることがある」とされている職業は、「漁船の船長」、「機関車機関士」、「ガソリンカー運転士」、「航空機操縦士」などである。同解説によれば、「第1度」(もっとも軽い部類)の色覚異常者でも、こうした分野には「就業させないほうが良い」という(高柳 1996: 196)。
この分類表は問題の多い過去のものだと言えるが、しかし批判的に吟味するならば、きわめて現在的な示唆に富む資料である。最も軽い色盲・色弱でも、それに該当する人が、漁船で指揮を執り、列車を運転し、航空機の操縦を担当したら、「人命に係わる」重大な過失をまねく公算がある、というのである。どうしてなのだろうか。
むろん、「紅い薔薇」を「御納戸色」に見てしまうためではありえまい。そうではなくて、信号や機械の計器を見誤る、と想定されているためだ。そしてバラの花とそれら信号・計器が根本的に異なるのは、後者の色彩は明らかに人がほどこしたものだ、ということである。
つまり問題は、計器や部品が無自覚に色分けされていて、しかも交通信号や船舶の灯火に典型を見ることができるように、「色分けだけでメッセージを伝える」という技術が一般化している点にある(8)。
航空機のパイロットは特殊で極端な例だ、と思われるかもしれない。だが、この検査表は、ラジオの修理や現金出納事務は「色覚異常があると、仕事の遂行にやや困難を感ぜしめる職種」、配電盤工事員や公認会計士なら「色覚にほとんど関連のない職種」というふうに、ほとんどあらゆる職業・職種を色覚と対応させて分類しているのである。果樹農家と畜産農家でもちがうという。
この分類の実証的根拠をいまは問わないことにしたとしても、色覚少数者にラジオの修理はやや難しいが配電盤工事ならOKといった分類は、明らかに分類当時の技術に規定されたものであろう。となれば、技術に変化がおこるたび、上述の分類は改訂版を出さねばならず、朝令暮改とならざるをえないはずだ。
これが図らずも示すのは次のことである。すなわち、色覚特性のちがいは実在するのだが、どの特性がなぜいかなる問題になるかは採用されている技術によって決定される、つまり問題となりうる特性は実在するけれども独立変数ではない、と。
これを再考された構築論の地平と呼ぼう。
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解決の方途:
ユニバーサル=デザイン
この地平上で色盲・色弱を「つくられた障害」だと述べても、身体の特性のちがいを否認することにはならない。また、障害をつくりだしたのは、「誤診」や「社会的通念」(観念、イメージ、表象、等々)による思いこみではなく、無自覚に採用された技術体系や定着した社会的実践(赤は止まれ、青は進んでよい)であることになる。
その環境のもとでは社会生活に支障を感じる人が現に存在しうる。そこに危険な場合があるとしたら、しかし、危険なのは色覚特性そのものではなく、むろんその人でもなく、無自覚な色分けに頼っているサイン体系のほうであり、それを自明視している社会的実践である。
さらに言い換えれば、誰もが何らかの条件のもとでは行為に支障をきたす存在だ、ということになる。たとえば、両手が荷物でふさがった人にとって、握り玉式のノブがついたドアは、握力を失った人にとってのそれと同じく、通過不可能な壁である。
逆に、条件を変えれば、つまり、技術と実践を改めれば、その支障をなくすことができる。たとえば、ドアノブをレバーハンドルにすれば、手が使えない状況にある誰であれ容易に通過することができる、というふうに(スティーブン=スピルバーグ監督の映画『ジュラシック・パーク』にはヴェラキラプトルにも開けられるドアノブが登場する。もちろん、この場合は、開けられなかった方がよいのだが)。
この地平上におかれたバリア除去は、形は「バリア=フリー」の実践と同じであっても、それとは異なる意味を持つ。つまりそれは、特別な人のための特別な救済措置ではなくなる。そうではなく、技術や実践の改善は万人のためのユニバーサル=デザインとなる。
一部の人のための工夫がバリア=フリーで、みんなのための工夫がユニバーサル=デザインだ、というように、異なる工夫があるとは限らない。むしろ、かりに同じ工夫でも、それをどんな哲学で(ここにいう「地平」で)考えるかが異なるのである。
カラー=ユニバーサル=デザインも、内容はカラー=バリア=フリーと類似するところが多いだろう。しかし、ユニバーサル=デザインとしてとらえなおされた工夫は、「一部の色弱者のためだけの特殊なデザイン」なのではない。今日の「色数が無秩序に増えがちな一貫性のない色彩設計」を改め、色分けだけに頼らず、線や図形や文字を組み合わせれば、「使いやすさを追求したデザイン」となるし、白内障などで色覚に変化をきたした人や薄暗がりの中の人など、つまり「全ての人」のあらゆる状況で「価値あるもの」となる(「カラー・ユニバーサル・デザイン機構(CUDO)」公式ウェブページより。太字強調は徳川)。
これが社会のノーマライゼーションのひとつであろう。
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注
(1) ここにいう「地平」は「意識」や「認識」のことではない。
たとえば、登山のことを想起してみよう。同じ野や川でも2合目からと5合目からとでは異なる眺望となる。異なる原因は、その人の意識とか精神構造などではなく、立ち位置である。
その5合目から写真を撮っておみやげにすれば、話題になるのはまずもって被写体としての野や川であって、その立ち位置ではない。立ち位置が話題になるとすれば、日頃見慣れた同じ高さから見た野や川とのちがいをきっかけにしてであるにちがいない。同様に、7合目からの写真と比べてみれば、「どこからとったか」が話題になるだろう。
このように、対象の描写や評価において当面は論題となっていないが別様の眺望がありうることが示されればただちに論題となりうるような「論や問いの前提」のことを、ここでは「地平」と呼ぶ。
わかりやすくするために視点の垂直移動を例にあげたが、一方から他方を見下そうというのではない。つまり、5合目よりも7合目からの眺望のほうがすぐれているとか正確であり、したがって7合目に至りつけばもう5合目からの眺望は忘れ去ってもさしつかえない、というわけではない。
が、ただし、どの眺望も相対的だと指摘して終わることをも意図していない。富岳百景図のように、どの図も富士のすべてをありのままに描いているわけではないのだが、視点の水平移動が鑑賞を迫ってきて、結果として富士理解が深まっているといったこともありえるだろう。以前の地平にたちもどったとしても、この比較対照ののちにはもはや、前に見たのと同じ富士はもはや見ることができないであろう。ここで目指したいのはそういうことである。
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(2) 「色盲・色弱」という言葉についての本サイトの姿勢は、第1シリーズ第1話の注1のころから、基本的に変わっていない。
補足的に述べておけば、英語圏では Daltonism と呼ばれることが多い。これは、村上元彦『どうしてものが見えるのか』(村上 1995)によれば、原子説で知られる科学者、J=ドルトンが自分の色覚が他と異なること気づいて1794年に学会報告したことに由来する。その時の仮説は誤っていたが、没後になって彼の色盲が判明、結果的に発見者となったのである。
呼称については、他に、世間的な誤解を避けるための代案、たとえば「P型・D型・T型・A型」の色覚、単に「色弱」などの提案がある(カラー=ユニバーサル=デザイン機構)。
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(3) 團の言う「自制と熟考」の内容は、「進学、職業の選択から始まって、事故、迷惑の防止、優生学的な意味での結婚への配慮」などである。希望の進路を選択することも好きな異性と結婚することも最初から諦めておけというに等しい、この語義での「自制と熟考」を、私は團と共有していない。
というのも、これでは、問題的な社会をどう改革するかではなく、問題的な個人が正常な社会のなかでいかに堪え忍ぶか、という話になってしまうにちがいないからである。團の「強気」も、そんな境遇によって鍛えられたがゆえ、社会環境を変革しようとする営みを「弱気」だと見ることにつながっているのだろう。その側面についても私は團と意見を異にしている。−−ただし、本論では團の立つ地平の意義も最大限にくみつくそうと努めている。 →本文へ
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(4) 身体の何らかの状態(病や傷のある場合がインペアメントimpairment)と、それでなにができるか/できないか(ability/disability)とを概念的に区別するマイケル=オリバーの見地は(Oliver 1990=2006: 34)、種々の議論を呼んでいるとはいえ、障害学のいわば定説となっている。
たとえば、色覚少数者の生理学的な意味での色の知覚に、竹取物語の時代と月周回衛星「かぐや」の時代とのあいだで大きなちがいがある、とは想定しがたい。しかし、色分けだけで表示された複雑な地下鉄路線図が見えづらいかもしれないといったことは平安時代やドルトンの時代には起こり得ない。これが社会現象としての「障害」である。
道路標識の文字をいまの半分の大きさにして、「これが見えない人は視力異常者であり、運転免許を交付しない」としたら、世間はその措置に囂々たる非難を浴びせるだろう。ところが、推定300万人にものぼる「色覚異常」を一斉検査で数え上げておきながら、「世間の色使いを改めてはどうか」という提言もないままに、進学や職業の制限がおこなわれているとしたら、その状況は、採用された技術が、それに合致しない人間を「障害者」と定義して排除するのを、容認していることになる。
このように、社会的行為能力は、独立して存在する身体の属性そのものではなく、社会の環境や技術水準によって左右されるものである。
なお、誤解の多い点だが、「インペアメント」が自然のもの、「障害」が社会的なもの、といった単純な分類ではない。オリバーによれば、インペアメントも社会と無縁ではない。むしろ、交通事故、犯罪、戦争、公害などと数えてゆけば、それも社会が生み出すことが多いと納得できよう。ここで理解可能になると思われるが、「社会現象としての障害」とは、このような「インペアメンの社会的原因」と区別するための考え方だ、と言える。インペアメントの原因の社会性如何によらず、それによって何ができるかできないかは、社会的条件によって左右されることになるからだ。
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(5) パンフレット『色覚検査廃止から何を学ぶのか』(日本教職員組合養護教員部 2003)は、認識の訂正を訴えるとともに、今後の課題として、就業差別撤廃へのとりくみ、教育環境の改善、などを挙げている。しかし、ことに大学や専門学校でのとりくみはいまだ皆無に等しいと言わざるを得ないだろう。→本文へ
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(6) 1911年に作成された小口氏仮性同色表は軍人に対して試用され、1916年に石原忍が開発した「大正5年式」色神検査表も陸軍専用だった(太田 1997)。後者が後に国際的に高く評価され、長らく用いられる色盲検査表の雛形である。 →本文へ
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(7) ここでの議論と相似的だと思われるが、障害に関するオリバーの「社会モデル」はインペアメントの否認・隠蔽につながりかねないとする指摘もあるという。確かに、障害が社会的に「つくられた」ものであるという指摘は、もともとなんでもない人々が単にそうラベリングされているだけ、との誤認を生じさせがちであろう。これは、「構築論」をどう理解するかにもかかわるが、よく出てくる疑問でもあろう。
「つくられた」との指摘が、身体の特性じしんの否認や無問題化につながり、「それなら対策は必要ない」との声を呼び起こしてしまうなら、それは本末転倒な結果である。それくらいなら、政治的には、本質論にたちもどったほうが、議論を有利に進められそうに見える。
しかし、社会モデルに意味はなく、やはり本質論が正しかったのだ、と述べるわけにはゆかないだろう(杉野 2002: 259-60)。何が達成されるべきなのかが、異なってくるからである。得られる成果の意味と言ってもよい。私がここで考えたいのも、そのことである。
たとえば、声は、特定の利害を追求するための圧力なのか、それとも社会編成や生命観のつくりかえにむけていろいろな人々が考えるべきことのヒントなのか。環境改善は特別な人々のための特別な救済措置なのか、それとも多様な人々に資するべきものなのか。
このように、こうしたことについて社会がどれだけ思慮深くなることができるかによって、追求された利害や達成された政治的課題も、意味が全く異なることになる。
となると、本質論と構築論を、「どちらが本当の現実なのか」を機軸として対比してはならないことになろう。
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(8) 色盲の「発見」じたい、交通手段の発達に伴う「信号」の発明と関連している公算が大きい。19世紀末のイギリスではすでに船員の色覚が問題視され始めていた(Bailkin 2005)。この問題視を決定的に促したのは、1875年にスウェーデンで起こった鉄道事故に関するF=ホルムグレンの研究であった。すなわち、事故を起こした鉄道会社の職員266名に色盲検査を(羊毛法と呼ばれる方法で)実施したところ13名の色盲者を検出した。今日から見て、その検査の信憑性を認めたとしても、しかし当の運転手は事故で死亡し、検査もできていないので、事故原因が特定できたとは思いがたい。しかし当時は、この検査結果にもとづいて鉄道員と船員に対する色盲検査実施が決定された。それがヨーロッパおよび日本に広がったのである。 →本文へ
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